少し前の話になりますが沖縄で旧海軍司令部壕に行ってきました。二度目です。

日常で見上げる青空とまた少し違った広がりを感じる気がする沖縄の空。青の深みや空気の澄み方ではなく綿と麻の差異と言いますか。
そんな蒸し暑くも味わいのある青空から一転、地下深くに掘り進められた壕に入るとそこはあまりにも暗く、悲しい。そしてこの明と暗、過去と今の両方が沖縄の現実。気がついたら汗でべっとり濡れたTシャツが氷のように冷え切っていました。

77年前、ここではライフルすら持てず刀剣で敵地に突っ込んでいく者、負傷して朦朧とする意識で暗闇を見つめ続ける者、手榴弾で自決をする者。そんな沖縄の若者が四千人、生きているのか死んでいるのかわからない穴の中に立てこもっていました。
本当にひどい状況だったと思いますが、彼らは確かにここにいたのです。

戦後77年。ロシアとウクライナが憎しみ合い殺し合う今はもう戦前になってしまっているのか。
後世の歴史家がいつの瞬間を決定的な運命の分かれ道だったと記すのか。
情報戦やドローン、バイオや天候を駆使するようになっても人の心の醜さだけは処置無しなのか。
なぜ同じ過ちを何度も繰り返すのか。
薄暗い通路を通っているとさまざまな人の業に対する問いかけがどこからともなく聞こえてくるような気がしました。

もう一つ、佐喜眞美術館を訪れました。
宜野湾市の米軍基地に食い込むように位置する美術館です。
僕がこの美術館の名前を知ったのは埼玉の原爆の図、丸木美術館で見た原爆をはじめとする巨大な戦争絵シリーズでした。
丸木位里・丸木俊夫妻が描く悲惨はきっと誇張も脚色も抽象化もされずあるがままの悲惨であるから目を背けることも素通りもできないのかと思いました。
その戦争絵の一つ、沖縄の地上戦がこの美術館にあると知り是非訪れてみたいと思っていました。

米軍基地との境界を示すフェンスと沖縄の色鮮やかな花が咲き乱れる庭園の、ここでも象徴的な二つの沖縄が交わることなく、しかし同じ空間に確かに存在しているのが印象的でした。
屋上もまた象徴的で慰霊の日、6月の23日の日没がちょうど階段の正面に落ちるように計算されて建設されているそうです。

訪れた時は小学生が社会科見学に来ていて学芸員の方が三線で歌を歌い、その後地上戦がどういったものなのか語っていました。子供たちがはしゃいだりせずに真っ直ぐ向かい合って話を聞いて絵を見ている姿になんだかホッとしました。

展示ももちろん素晴らしかったのですが、出口付近の新聞に小学2年生の感想文があり、そこに綴ってあった平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」がすごく素敵でした。
多数決や大国の利害で生まれる平和が戦争や恐怖を抑止、根絶するものではなく、一人一人の人間が過去の痛みを知り、学び反省し、そこから安心できる世界を築き上げていく。それが平和であり、戦争について考える必要があるのかと教えてもらった気がしました。
その詩も含めて学びの多い時間となりました。

こわいをしって、へいわがわかった

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんやおばあちゃんもいっしょにみんなでお出かけうれしいな
こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん風ぐるまやチョウチョの絵もあったけどとてもかなしい絵だった

おかあさんが、七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだたくさんの人たちがしんでいてガイコツもあった

わたしとおなじ年の子どもがかなしそうに見ている
こわいよかなしいよかわいそうだよ

せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?
きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように

こわいをしって、へいわがわかった

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