高野山と言えば早朝の生身供。いわゆる弘法大師の朝ごはんをお届けする儀式です。
普段明け方まで起きてる梟のような夜型人間、早朝6時スタートなので起きるのかなり厳しいですがそこは聖山、何か大いなる力が宿ったのかサクッと起床。

無事に奥の院まで行き暫し待つ。霧雨に濡れた石畳を維那と呼ばれる僧侶が流れるように御廟の中に吸い込まれていきます。
即身成仏として今なお修行の中で祈りを捧げているという弘法大師。その目前、圧巻の雰囲気と独特の節が浮遊感を感じさせる読経がこだまする場。
835年に入定してから今日まで欠かさず行われてきたこと自体が人間の想像力を超えた奇跡だと思うのです。

ちなみに相方の柚希ちゃんは御廟の中にあったお大師さんにお手紙を送ってみようというコーナーで結構真剣に何かメッセージを綴っていたのが印象に残っています。きっと届いていることでしょう。

霊場であると同時に墓地。となるとそこはやはりお地蔵様の独壇場。
おそらく人類がまだ獣だった頃から今に至るまで変わらないもの。そしておそらく真言宗に限らずあらゆる宗教が生まれた理由、それが残された者の気持ちなのかもしれません。

奥の院から霊宝館、そして金剛峯寺へ。
高野山は何度か訪れているのですが霊宝館は初訪問。もう素晴らしいにも程がある。仏像や曼荼羅などに興味のある方は明日にでも是非。写真撮影は不可。
それにしても高野くんや推し仏など超硬派なイメージの高野山にも徐々にポップな試みが。
ちなみに推し仏診断メーカーでは孔雀明王。孔雀王読んで育った世代としては感極まります。

金剛峯寺は何度か来た事があったのですが、今回偶然襖絵として千住博さんの断崖図、そして朧図。これが本当に素晴らしかったです。
帰った後千住博さんのことを調べたのですが、芸術はある境地に達すると自身の経験と技術だけでなく偶然の要素を取り入れ導かれるようにして完成するとの記事をみました。先日見に行ったリヒターもそうでしたがこの襖絵も鳥肌が立つものがありました。
くしゃくしゃに丸めた和紙や自然に垂れてくる墨。
完成するまでの道のりを同行二人と書かれていたのが印象的でした。

こちらも内部の写真撮影は禁止なのですが、壇上伽藍も素晴らしい。曼荼羅そのものに足を踏み入れてしまったような体験でした。

最後にお世話になった宿の猫さん。店長さんも青海省に留学されていたこともありディープな旅やチベットの話ができて本当によかった。充実の高野山でした。

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