始まりましたねオリンピック。始まるまで本当に色々ありましたが、やるなら参加する人、楽しみにしていた人がいい時間だったなぁと思える大会になるといいですね。
しかし今、私は個人的に五輪より三輪。
そうです。奈良の三輪山。本殿を持たず山自体を神体とする、憧れの大神神社に行ってまいりました。

主祭神は大物主。蛇の体としてその姿を表すこともあるという、葦原中國にいわゆる国譲りより遥か昔からこの国に存在していたという出雲系の国津神。
そしてモノとはいわゆる神様とは少しニュアンスのことなる精霊的な存在を意味し、これの主であるということを意味しているとか。


先日訪れた富士山で、溶岩流によってできたいわゆる溶岩樹型。洞窟を母体に見立てて潜り、そしてその洞窟から出ることで生まれ変わりを体験するという胎内巡りを体験しました。
そして硫黄が煙る立山の室堂を極楽に見立て、一度あの世を体験し下山することで生まれ変わりを体験するという立山信仰。

古来より人は異界である山に迷い込み、そこから生還することで新たな命の息吹を手に入れられると感じていたのでしょうか。

どこかその感覚に導かれるように、深い山の麓にある里山を巡る時間が最近増えてきましたが、そこでよく目にするのが神社などで祀られている蛇のモチーフ。
キリスト教圏では忌み嫌われるその存在に畏敬の念を感じる我らの心理の奥には、脱皮に象徴される不老不死のイメージなのか、あるいは過去に悔いを残しても、その過ちや後悔を帳消しにできる、そんな不可逆を覆すイメージを見るのでしょうか。


そんなことをぼんやり考えていると、空の上の雲もなんだか蛇の頭に見えてきました。


思えばこの注連縄もどこか絡み合う大蛇に見えないこともないです。

なんだか少しスピリチュアルなことを書いてしまいましたが、もう少しこの時を遡ることのできる蛇と山について考えながら旅を続けたいと思います。

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