5月の12日から2週間、仲良くしていただいている写真家、にのみやさをりさんの写真と詩をお店で展示させてもらうことになりました。

今、禍と呼ばれる時代の渦の中、写真ができることってなんでしょうかと話をさせてもらったことが始まりになりました。
一人一人、未だお互いの距離を保ち続けることでしか生活をすることができない時代。
いつしか、当たり前に思っていた大切なものが心の中から消えない様に。

色がない、少しノイズを感じる風景を写し出す作品を見ると、僕はいつも心を見透かされた様な気持ちになります。
無意識下の夢の中で見る様な、日常生活では目をつむって静かに眠っている獣の感情。それは、本能と呼ばれるものなのでしょうか。
死が訪れるその時までその獣を見ないふりをするのか、噛みつかれながらも共に生きるのか。
ずっと先だと思っていた終焉がもしかしたらすぐそこにあるかもしれない今、向き合って生きると言う選択肢を提示する作家さんの作品を通して、今を生きるとは何かを考えることができたらと思います。
モデルは舞踏家の竹内空豆さん。

手洗いのお願いなど、基本はカフェの営業と同じですが、もしお誘い併せていらっしゃるお客様いらっしゃいましたら一度ご連絡いただけると助かります。お客様の少ない時間帯などご案内できると思います。
また体調の優れないお客様はお元気になってから遊びに来てくださる改めて来ていただける様お願いさせてもらいます。

下には作家さんからのメッセージ。

コロナという禍によって、私たちの心は今、軋んでいると私には感じられる。常に生死に直面させられて、自分が被害者になるだけでなく、自分が加害者になってしまうかもしれないという不安に常に付きまとわれ、右を見ても左を見ても、疑心暗鬼にならざるを得ない。そんな状況に、どんどん陥って、同時にどんどん疲弊していっているように感じられる。
こんな時だからこそ、本当は隣人と手を繋ぎたい。隣人と不安を語り合いたい。それが躊躇なくできたらどれほどこの不安は、恐怖は、容易に解消されるだろう?
それができないから、不安や恐怖は日々、増幅してゆく。私たちの心の刺々しさもまた、増幅してゆくばかり。
そして改めて考えこむ。
加害者になり得る自分、被害者になり得る自分。そのどちらにもなりたくない、でもなるかもしれない自分。そんなどうしようもないちっぽけな「私」に今、何ができるんだろう?

私は人間として生まれた。人間として生きてきた。途中人間であることを木端微塵にされた。それでも人間であることを諦めたくなくて手を伸ばしてきた。人間であることを捨てたくない。ただその一心で。
そんな私は、こんな状況下にあってもやはり、隣人と心の中、手を繋ぎ合いたい、そう、願ってしまう。

そんな私の、人間としての抗いを、願いを、祈りを、写真と言葉に込めました。
たったひとりの誰かの心に届け。そう、祈りながら。

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