先週、熱い熱い夏の日に駆け抜けた愛媛と尾道の旅。絵に描いたような夏休みそのものだった瀬戸内で印象的だった島、大久野島をご紹介させてもらおうと思います。
しまなみ海道から少し外れたこの島は大三島からさらにフェリーに乗って訪れる、少し時間をかければ歩いても回れる、本当に小さな島なのです。
今は島中で木陰からぴょんぴょん現れるうさぎの群れと、夏休みを迎えたわんぱく親子連れの冒険とリゾートの島。そしてかつては太平洋戦争の隠し切り札としての毒ガスを研究、開発していた島なのです。
まずうさぎさん。怒涛のように駆け寄って来てくれるのかと思ったのですが、この灼熱の夏は人間以外の生き物にも当然日陰でまったりという日々の過ごし方を選択させるわけでありまして。
餌を事前に購入し、港で囲まれて全部奪われたらどうしよーーなんて茹で上がった脳みそと表情でデレデレしていたのですが正直若干肩透かし。
それでも二、三匹でチームを組み木陰からこちらを見つけるとモフッ、モフッと近寄ってきてご飯ちょうだいと訴えかけてくれるわけです。たまらん。
大久野島のもう一つの顔を知るための資料館。こちらが訪問の本当の理由であったりもするのですが、中は現在の感覚からすると本当に受け入れ難い凄惨な内容でした。
人が人を、考え得る全ての方法で、出来るだけ効率よく殺すということが戦争であると改めて考えさせられました。
かつて故郷では、それぞれの人生や生活、家族、平凡でも一生懸命生きていた人を突如爛れさせ、痺れされ、命を奪う行為、その先にどういった大義や正義、希望があったのか。あるいは我々が毒ガスの先にそれぞれの平凡だけど幸せな人生を見ていたのか。
また和紙を使った風船爆弾の展示も恐ろしく、太平洋を越え文字通り何の罪もない西海岸で暮らす人々を偶然という理由だけで毒で殺めるだけの兵器。多分当時の人もこれで戦局がひっくり返るとか思わなかったんじゃないかなと思ったり。
また、カンボジアの地雷などでも感じたことですが、戦争が終わった後でもこうした処理しきれなかった兵器は今でも容易に人の命を奪い取り返しのつかない事故につながることもあるそうです。
そんな大久野島、戦時中は隠蔽のため地図から消されていたそうです。ぽっかり空白になった瀬戸内海の地図が資料館に展示してありました。
今の島のウサギとかつて毒ガスの実験で使われていたウサギとの関係性はないそうですが、無邪気の象徴のような小動物と毒ガスという悪意の極みのコントラスト、それがこの小さな美しい夏の島に圧縮されていることは何とも言えない気持ちになります。
もしこの先どこかの国と戦争をすることがあった時、僕たちはまた勝つために殺さなくてはいけないのか。あるいは負けないために殺さなくてはいけないのか。本質から変わらないといけないと改めて思う瀬戸内の小さな旅でした。