お店の夕方休みを利用してゲルハルトリヒター展に行ってきました。
今思えば無謀とも思える、現代美術の巨匠の回顧展にほぼほぼ前知識なしで勢い出発となりました。案の定、圧倒的な色の洪水にポカーンとしてしまうことも多い時間でしたが、予習ではなく復習しながらあの抽象空間はなんだったのか少し考えてみました。

旧東ドイツ生まれのリヒターは幼少期にナチスドイツ時代を経て西側へ。ベルリンの壁が出来上がる数ヶ月前の話だそうです。
全く違う世界に居を移したリヒターは今までの価値観とはまるで違う世界で何を信じていいのかと問い、そしてなぜ美術に価値があるのか、価値とは何か、そういったところから自分自身の信じる心を再構築していったとのことです。

そんなリヒターの出した絵画の意味は問いかけへの手段と言えるのかもしれません。
写真を投影しそれを模写しハケで擦りボケを生み出す。そこで生み出されたものは写真なのか絵なのか。そもそもイメージって何さ。そういった禅問答的なズブズブな問いかが満ちている展示でした。

カラーチャートと同じ部屋にグレーペインティングと呼ばれる灰一色の絵画もあるのですが、自分はそれを対照的なイメージとしてしか感じなかったのですが、色彩というものは混ぜれば混ぜるほど灰色に近づいていく。そんな話を昔美術の時間でならっったような。いってみれば同じものなのか。
このカラーチャートはケルン大聖堂のステンドグラスにも採用されているそうです。すごいなドイツ。

そしていきなり姿を表したのは今回の目玉ビルケナウ。いわゆるアウシュビッツの地名。当時隠し撮りされた収容所の写真のフォトペインティングから色を何層にも重ねていきそれを抉って削ってまた塗る。
正直抽象画の良し悪し、もっと言うと正しい見方がわかっていない自分ですが、壁面に敷き詰められた鏡、滲み出てきたような赤、また背後には絵画のコピーとも言える写真が貼られていました。意味深すぎる。
反射や反復をホロコーストの展示に重ねる意味は何か。そしてドイツ人であるリヒターがホロコーストを描く意味。それは我々が考えなければいけないことなのかもしれません。

アブストラクトペインティングとそのまま呼ばれる抽象画に込められた超でかいハケで塗る偶然と色を選ぶ自分の意思、そういった異なるものが一つの作品で混じり合うわけでもなく奇妙な同居をしている。こういった二つのものを作品の中に見つけていくと面白いのかなとぼんやり思えたような気がしました。
わからんなりに訪れても、ぼんやりですが学ぶことができてよかったと思えた展示でした。

写真をなぜ撮るのか、なぜカレーを作るのか、カフェとは何か。そんな思いに飲み込まれて自意識を再構築しアブストラクトカレーを拵えないようにしながら、僕は僕で頑張ろうと思います。

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