先日木曜、金曜とお休みいただいて宮城、山形に小さな旅をしてきました。
普段は必ず月曜日を絡めた連休をいただくのですが、今回は自身の掟に背いてでもこの日に旅立ちたい理由がありました。
それが水かぶりとカセ鳥という二つの神、あるいは妖なのです。

このご時世に神事や無形文化財とはいえ開催されるには大変な苦労と努力があったことと思います。感染症が治った後、いわゆるアフターコロナでもこういった努力がなければそれはもしかしたら一変した世界。古くから続いてきた伝統が途絶えた時代が始まるのかもしれません。
残念ながら時代の波はあまりにも大きく、そういった淘汰は自然で必然なものなのかもしれません。その瞬間まで少しでも多く、人間がまだ持つ畏怖の心が具現化したような理では計れない風習をこの目で見たい。そう考えています。

最初に訪れたのは水かぶり。仙台からさらに北へ。岩手との県境も近い氷川という町でそれは行われます。
神社から登場した水かぶり一同は軒先に置かれた桶に入った水をぶちまけながら行進していきます。これはいわゆる火伏せという火災防止の祈りとのことですが、翌日のカセドリ共々、どうしてむしろ燃えやすそうな姿でそれを行うのか、興味は尽きません。。
行列の最後にはヒョットコとオカメがおひねりを回収して歩き、祭りが終わった後寄ろうとしたコンビニでは一人水かぶりがぶちまけていたり、シュールな世界に最後まで心を弾ませました。

そして翌日。場所を大きく移し山形県は上山市。
加勢鳥でカセ鳥。こちらも火伏せの化身であったものがいつの間にか無病息災、商売繁盛のマルチな存在に進化したそうです。
水かぶりと違って残念ながら限定された開催でしたがこちらは楽隊の音楽と歌が入りなんとも楽しげ。女性のカセ鳥さんもいてふわっとした雰囲気です。
そんなカセ鳥一同が、商売繁盛カッカッカー、カッカッカーと水かけられながら踊る踊る。子供がひしゃくで水をかけカセ鳥がブルブル体を震わせしぶきで反撃する。
そんな妖精の園ような牧歌的な時間を楽しむことができました。

人生で100ほどやりたいことをリストアップするならば、こういった来訪神、まれびとのような存在との出会いは相当上位になると思います。
ここではないどこかから現れる存在、そしてその存在が本来担っていた役割を感じることは新しい生活様式で全てが一新されてしまうかもしれない世界にとって何かとても大切なことを教えてくれるのかもしれません。

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