久しぶりに大好きな庭園美術館を訪れました。
様々なアートや芸術が集まる世界でも有数の大都市、東京ですがここまで曇り空と秋が似合う美術館も少ないのではないでしょうか。
そんな古式ゆかしい館で行われている展示はクリスチャン・ボルタンスキーのアニミタス。
さざめく亡霊たちという怪しげなタイトルが付けられた今回の展示も、作家のボルタンスキー、あるいは旧朝香宮邸の空気感が好きな方ならニヤリとするのではないでしょうか。
ボルタンスキーの代表作の一つ、最後の教室を初めて見たのは何年か前の越後妻有、大地の芸術祭でした。
まだほとんど現代アートとか見に行ったことなかった自分は、学校を建築一つ、まるまる異空間に変化させた展示に度肝を抜かれまくったこと覚えています。
入場者を祝福する、あるいはスフィンクスのように邪な存在を拒む門番のようでもあるガラスの天使の前を、いつものように若干緊張しながら入館します。
アールデコ極まった館に響き渡る亡霊の声。
とはいえそんなおっかないものではなく、しかし意味深なささやきが満ちていました。
曰く、布は水に濡らすと本当重くなるの、などなど。
奇しくも庭園には雨が降り始めていました。
赤い階段を上る気配。
ガラスの向こう側で滲む気配。
影は止まることなく、揺らぎ続けていました。
軍人と鏡
中庭に冬がやってくるまでの時間はもうわずか。
通路の向こう側の気配。
振動と赤い波動を放ちながら電球は震えていました。
聞こえるはずの無い、そして止まることの無い心臓の鼓動が訪れる人に連想せるのは一体何なのか。不安や欲望、あるいは安らぎなのでしょうか。
少女と鏡。揺らぎ。
ガラスの向こうの気配、再び。
館を抜け新館へ。
庭園には雨が降り続けていました。
白熱灯と浮かび上がるような眼差しで満ちた部屋は圧巻の一言。
見るという行為、あるいは見られるという行為に物理的な作用はないはずなのに、部屋に満ちた圧迫感は思わず足がすくむほどでした。
部屋の中心には金色の塊。中には衣服が入っているとのこと。
メキシコで作成されたこの作品には、手のつけられない状態の治安になってしまった街と罪、そこで亡くなった人々へのメタファーが込められているらしいのですが、ボルタンスキーにとっては、それは彼がかつて体験したホロコースト、そして今回の展示を訪れる日本人にとっては東北を襲ったあの大地震を重ねてくれてもいいとのことでした。
人はそれぞれに消し去りたくない記憶や思い出があります。
床に敷き詰められた藁の匂いを感じながら、荒野と森で鳴り続ける風鈴。
これもボルダンスキーにとっては亡霊のささやきなのでしょうか。
訪れることのできないチリの荒野で鳴り続けているであろう風鈴と豊島の森の中の風鈴。意味合いは違えども根底にある作品に対する哲学は同じようでした。
少し作品の展示は少なめかもですが、同時に開催されているアール・デコの花弁、要は館内の細部にフォーカスしてディテール、細かい造形美と装飾を楽しむ企画もあり興味深かったです。
作品を見る前にエントランス近くでも流れているボルダンスキーのインタビューを見るとより深く楽しめると思いますので是非!