蓼科山に登ってきました。
数年前、初めての登山は奇しくも同じ信州のご近所、八ヶ岳でした。一泊二日の異界にアドレナリンが噴き出たこと覚えています。
その登山はとんでもなくしんどかったものの、自分の足で成し遂げた登頂は最高の思い出となり、その後もどっぷりというほどではないものの、ロープウェイなどを使えるアプローチしやすい山を中心に、ぼちぼちと続けてさせてもらっています。

人一倍運動ダメ、しかも膝があまりよろしくない自分が、なぜ登山だけは細々でいいから続けたいと思うのか。
毎回毎回、体感するしんどさは許容できる限界をはるかに超え、いつもぶっちぎりのびりっけつ、周回遅れで静かになった山を一人呪詛の言葉を吐きながらペンギンみたいな速度で降りていく。
その度に2度と入山などしないと誓うのに。

古来、登山道や山小屋もない世界、防寒を微塵も期待できない着物に草鞋でのアプローチする登山、今とは違う動物的な勘が人々に備わっていたとしても、その好奇心は死に直結するリスクがあったと思います。
同時に限りない畏怖があるからこそ、そこは神の世界に例えられ、祀っていたのかもしれません。人知の及ばない不思議な聖域。

そういえば今回もしんどいけど、一歩一歩前に進んでいけば確実に頂きに辿り着けるのが山の醍醐味よって思って一歩一歩登っていたと思ったら、登山道の途中でおもむろに眠っていて夢登山していたという体験がありました。全然進んでないじゃん。あるいは魂は昇っていたのか。山は不思議が一杯です。

今回は年に一回持ち出すかどうかのマクロレンズを持っていきました。重い。。

そして山小屋で食事できるとは知らずにコンビニでお弁当買って行ってしまったのですがセルフでレンチンしたときに醤油の入った小袋を取らずに加熱したためにバッグ内で破裂。勘弁してくれと。
必要と不必要のシビアな選択を間違えると命取りです。

やっと山小屋。冷静に考えるまでもなく自分には不必要なアイテムもせっかくだから。。と思うとついつい物欲が疼きますね。

ガレ場って言うのでしょうか。蓼科山は火山らしく岩だらけ。登れば登るほどにその比率は増していくばかり。デカさもまちまちですが稀にとんでもないデカさのものも転がっています。
登りも、そして下りも非常に歩きにくい厄介な存在ですが、苔が張り付いてそのまま風化したような跡があったりして見入ってしまいます。

ただでさえ遅いスピードがさらに鈍化。

またしても欲しくなる手拭い。

そして。。。登頂!!
この現実離れした景色が見たかった。

頂上でのカルチャーショックは、趣味で無線放送されてらしゃる方との遭遇。
機材持って登られてるのもすごい。楽しそうに電波を操り日本中の方と通信されていらっしゃいました。こちら興味津々、どうぞ。

醤油まみれのお弁当をいただき、ここからは下山。頂上ではしゃぎすぎて早くも膝がずきずきします。。
さらに寝不足が故にかと思っていた頭痛、ぼんやりしたテンションとコンディション。
何かがおかしい、そして私はこの感覚を知っている。。

これらはどうやら高山病ではないかと。
今までアンデス、ヒマラヤはもちろん富士山、立山に至るまでほぼ毎回高山病に悩まされてきましたが蓼科山、標高2531m。。
幸い道のりは下り。
しかしこれが長い長い。上りで思わず眠ってしまいましたが、この下りで寝たら永眠になりかねない。

それでもなんとか無事下山。
高山病?も麓の温泉入ったらむくむくと回復。事なきを得ました。
しかし山を愛する僕の気持ちはいつも切ない片思い。。なんて思ったりもしますが、恵まれたお天気、足元に広がる苔やキノコ、倒木から芽吹く多様な新芽、カーテンのように一瞬で閉じまた開いていく霧や雲。
まずはこれらの素晴らしい世界に感謝いなくてはいけませんね。

古来より山をただ恐ろしいものと忌むのではなく神格を帯びる理由は、時代を超え人間の本質に訴えかけてくる美しさがあるからではないかとも思いました。
下山と同時にソウルが剥がれた登山靴。次回はあるのでしょうか。。

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