ザンスカールのプクタルゴンパまでの歩き旅。起点となる集落?のプルネ。
パドゥムでヤクを飼っている人がプルネにいると聞き、どうやったら会えますかねと聞いた時、いやいや二家族しかおらんからどうやったらもないっしょと言われましたが、なるほど確かに。

風が吹く音しか聞こえないヒマラヤの荒野の中。
水を引き、畑を作り、子孫を残す。
わずかな滞在だったけど、人は競ったり、比べたり、何かに駆り立てられないでも十分幸せになれるのではないかと思う家族の風景がそこにあった気がしました。

犬二匹、ヤク一匹と暮らす。

庭でヒマラヤを眺めながら布仕事。贅沢。

ただ食事はやはり質素に。オーダーしたヌードルもミニマリスト。

この旅はグラサンの運転手さんがいてくれたから成就できたと言っても過言ではない。車一台通れる崖道を携帯いじりながらスイスイ走っちゃう天賦の才。
僕が連れて行けるのはここまで。あとは頑張ってなと送り出してくれました。

溶けた氷河の色なのか。乳白色のザンスカール川を眺めながら一歩一歩進んでいきます。

賽の河原の石積みはチベット仏教にも浸透しているのでしょうか。

アイスランドの旅でも感じたのですが名も無きただの山があまりにも雄大で、スケールを想像する力が追いつかず遠近感もおかしくなります。

ザンスカールの旅を共にしたバンちゃん。謎の蟻塚のような地層を見上げる。

器用に積まれた瓦礫の上に道が。美しき手仕事。しかし強度がとても心配。

途中川の水面まで降りることのできる地点までやってきました。
頭つけたら気持ちいのなんの。このまま流されていきたいぞと。

それにしても草も木も無い、剥き出しの大地。

インド亜大陸がユーラシアにぶつかった時のシワがヒマラヤであると昔、何かの本で見た気がしますが、その隆起を山と呼び、かさぶたのようなカケラが岩。途方もない年月を経てやがて石になり砂になる。
そのあまりの大きさに想像することもできないような旅路をチベットの人は神や仏と見立てたのではないかと思ったり。

2時間ほど歩き、やがて橋が見えてきました。
無数のタルチョがなびく橋が見えるとゴンパまではあとわずか。

ついに到着。感無量です。
正直ここからあの崖の上のお寺に至るまでが一番勾配が急でしんどかったりもするのですが。。
どんな旅にも目的地があれば到着があり、そこに達成感が生まれる。
日常に意味が宿る時に、僕は生を実感するタイプの人間なんだと改めて思うのでした。

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