少し前の話になりますが上野を半日ゆっくり巡る、そんな休日がありました。
その日は祝日だったでしょうか、普段月曜日休み、美術館や博物館が集結する上野と休日がバッティングする我々にとってその日は年に数回のチャンス。この機を逃すなと無謀にも上野公園で行われている三つの展示をハシゴしてみることにしました。

最初のマティスはいまさら僕から語ることは何もございません。素敵な作品です。写真はないのですが最後のロザリオ礼拝堂の壁画?はいつか現地で見てみたいと思う作品でした。

その後、東京都美術館で行われていた荒木珠奈さんの展示、うえののそこから「はじまり、はじまり」と、
東京都国立博物館で行われていた、古代メキシコ-マヤ、アステカ、テオティワカン。
奇しくもメキシコの持つ光陰、華やかさと怪しさにフォーカスした展示を二つ続けて見る事になりました。

かつてメキシコのオアハカで体験した死者の日。ハロウィンと混同しがちですがルーツはカトリックの万聖節だとか。おどろおどろしい名前から想像していたホラー的な夜とは大きく印象は異なり、若者はもちろん、老人が談笑し、子供たちが笑顔で駆け回る、そんな不思議な夢のような墓地の夜でした。

日中のギラギラした日差しが強ければ強いほど、室内に入ったときの影が色濃く感じたメキシコ。
それは逆の夜、墓場という闇一色の空間の中で灯された蝋燭がとても優しく、力強く感じたことを覚えています。

そんなメキシコの印象的な灯りを思い出すインスタレーションがいくつもあり、白熱灯の心細い光量だから感じられる灯火の導かれるような力強さに心踊らせながら不思議な空間を楽しませていただきました。

もう一つの展示、マヤ、アステカ、ティオティワカン。
こちらもまた中南米のロマンの粋ですな。
太平洋の向こう側、太陽や月に神を見出す人々。
古代の人々の思い描く神域は我々のそれと大きく違うようで、よくよく見るとどこか親近感もあったり。

翡翠や辰砂に神聖を見出し、手の込んだ埋葬の先に永遠を感じる。
土塊から自身の分身のような、それでいて異形な存在を作り思いを寄せる。
黎明期の人類の世界に対する根源的な認識の共通点は、どこかユートピアのような世界があったのではと可能性を感じたりします。
かつて我々は同じように見えない世界を感じ描いていた、同じ種族の動物であったと。

 

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