瀬戸内芸術祭で個人的に一番刺さったのが大島。
初めての来島だったということもあるのですが、他の島と大きく一線を画しているのは島全体がハンセン病回復者の養護施設として今も活躍しているというところになると思います。

文字通り最初の一歩、港の印象から決定的に違う。かつて患者としてこの島に来た、あるいは連れてこられた人が感じたであろう復路の無い隔離のための港であった気配。
今は病棟のような重い雰囲気はなく明るく静か。
しかし、どこか穏やかなだけではない何かが、森の中にエコーのように響き、砂浜には蓄積しているように感じました。

地域活性のコンテンツとして人気の現在アート。写真映えという需要と地域活性、この二つを結びつける一つの最適解としてムーブメントは素晴らしいと思うのですが、ふとこんなにもエンターテイメント、商業的なものだったかと思い出したように感じることもあったりもします。
そもそも何のための、どういったメッセージを載せた表現なのか、その一番大切な声にもっと耳を傾けないと思う次第です。
かつては人間を捨てた島とも呼ばれ、孤島からの脱走などもあったという歴史を少しでも知るきっかけをくれた作品、個人的には山川冬樹さんの作品、殴り書きのように書かれた離郷の詩、そして島中に取り付けられているスピーカーが特に印象的でした。

社会交流会間。
作家さんと患者さんの共同作業から生み出された作品が多いこともこの大島の特徴ですね。精度は荒いかもしれませんがリアルな体験に裏打ちされた迫力は緻密さに勝ると思いました。

大ファンの鴻池さんの作品。作品というか空間。しかし空間というにはあまりにも広い。土地、のような感覚。

孤島ではあるが対岸は黙示することができる。
もし自分が差別と偏見により一生をこの島で過ごすことを義務付けられたとするならば。泳げない自分でも何分かの一の可能性に賭けて泳ぎ出すことになるのか。
そんな浜辺に向かう階段がありました、

ハンセン病、そして大戦という激動の時代と人生の中で歌人がいかに生きたか。
愛媛、満州、モンゴル、そして大島で生き、歌を書き続け政石蒙さんの生きた証がそのまま作品に。
自分の人生が終わった後に、誰かがその物語を再び紡いでくれることは奇跡と同じくらい尊いように僕は考えます。素晴らしい展示でした。

大島にあった最後の木造ボート。

深く重い、しかし大切な時間でした。
最後船を待つ時間、この浜辺に猪が出たと大騒ぎになりました。
何事もなかったのでよかった。夕方になり少し涼しい風が吹き、少しはいい時代になったのかなと思うのでした。

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