高野山からゆっくり山を降りるとそこはもう海南市。
ついこないだまで自分の本籍地であり、父親が生まれ育った場所でもありました。
子供の頃、夏休みになると和歌山市にある母方の田舎から遊びに来たことを覚えています。

かつては貿易でそこそこ大きく商売をしていたようで、敷地内には家屋と同時に倉庫があり会社もあったようです。これはもううっすらとした記憶ですが、裏の庭には鯉が泳ぐ池があり、それを眺める専用の離れも作っていたとのこと。幼心にも嬉しそうに鯉の自慢する祖父のブルジョワっぷりにマジかよって思った記憶があります。

しかしもともと人見知り、そして5人兄弟でうちの父だけが東京転勤だったこともあり従兄弟との関係が希薄な自分、なんとも居心地がよろしくなくむずむずした気持ちで、その広い館の片隅で夏をじっとやり過ごしていました。
本を読んでると嘯いて、部屋にこもっていると壁や棚に横浜の家では見ない不思議な民芸品などのオブジェクトが目に入ってきました。
能面や木彫の熊、謎に多い七福神神の恵比寿や大国などなど。それがなんだかわからなくても、民芸の持つ素朴な魅力とじっと見つめていると見つめ返されているようなひんやりした感覚はこの時初めて覚えたような気がします。

月日は巡り今も、古い家屋に積もる時間の感覚に囚われたままの自分は古民家のような店で働き、休みの日には地方まで出かけ残された風習や儀礼を脳裏に焼き付けるため旅を続けています。

海南の家ももはや住む人はいなく、徐々に朽ち果てていく今。リノベーションできる限界も超えた館を前に写真を撮る以上の何かができたらいいなとは思うものの。

人が残せるものは何もなく、与えてくれた思い出となんのために紡いでいくのか誰もわからない血統。はるばる和歌山までやってきて良かった。鍵を開けてくれて案内してくれたおばちゃんにも感謝。

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