海南の故郷から和歌山の海の果て、加太まで。
熊野古道から始まった紀州道の旅もこの先はいよいよ海。長くなった旅の終着点は瀬戸内海でした。最終目的地は淡嶋神社。ここはいわゆる人形供養で有名な神社なのです。
3月の3日には船で,いわゆる不要になった人形を送り出すことで知られているのですが、その日まで預かっている人形がずらりと並べられている様子は異界。
しかしそれは動き出したらどうしようとか同じ顔が一斉にこっちを見ている的な恐ろしいともまた違う、自分の意思で最後の時を決めることのできない不条理から解放された安堵のようなものを感じました。

大国主の国造りを影から支えた少彦名命を祀る淡嶋神社。
この少彦名命は突然海の向こうからやってきて、やがてまた海に帰っていった小さな神だそうです。
三韓出兵の帰りに神功皇后を嵐から救ったことが祀られた由来とありますが、どうしてこの神様が人形供養と繋がっていったのか。
寿命がやってこないものの役割を終わらせる、不条理を終わらせるには少彦名命がやってきたという常世、つまり海の向こうに返してあげること。これが昔の人が考えた一つの落とし所、あるいは優しさだったのかと思いますがはたして。。
神や島を生み出すことがまだできなかったイザナミイザナギが二番目に産み、海に流した淡島との関係もまた大きいような気もします。

境内には人形だけでなく、面や木彫りなどあらゆる民芸品が海に流される、あるいは供養のために最後の時を過ごしていました。
かつてガンジスを旅した時に見た死を待つ人の家。そこで出会った老人の顔には、すぐそこにまで迫った死の恐怖ではなく旅を終えた安らぎが見て取れたことをなんだか思い出しました。
道の果て、淡島。自分は、自分の周りの人は、故郷は、最後の時をどのように過ごすのか。
旅の終わりについて考える旅となりました。

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