お店の本棚に四冊の写真集を追加しました。
alecsothさん,八木清さん、有元伸也さん、張克純さん。国籍も写す対象も全く異なる写真家が表現する4つの世界ですが、改めて見るとどこか共通する美意識、あるいは訴えが見えてくるようにも思えました。
八木清さんの写真集sila。
イヌイットの言葉で外にあるもの、あるいは叡智といった意味を持つ言葉がタイトルの意だそうです。
人という生き物が生きていくことができる、おそらく北限、境界の地。
その写真が険しさや力強さだけでなく、どこか懐かしさやむしろ安堵した気持ちになるのはやはり作家が長い間生活を共にして、ツンドラの日々を共有して生まれるものではないかと思います。
それにしてもうちわ持っている女性、和歌山のおばあちゃんに驚くほど似ている。


続いて有元伸也さんのtokyo circulaion。個人的に超ファンなのです。
先ほどのツンドラが極であるならば、もう一つの極地である新宿の生々しい表情。
密であるが故に孤独で、孤独であるが故に誇り高くなくてはならない。
そんな決意と確信に満ちた表情。これが東京か。


三冊目。それは浅間フォトフェスティバルだったでしょうか。
ディストピアなのか浄土なのかその境界線も曖昧な中国は黄河周辺のランドスケープを淡々と写していく張克純さんの北流活活、yellow river.
水墨画を描く和紙のような紙にプリントされたオリエンタルな肌触り。
ページをめくるとブッダの頭が転がり、禍々しい発電所が霧の中から姿を現したり。
僕の中での掴みきれない現在の中国のイメージとリンクするランドスケープ。
それでも圧倒的な景色の中ポツンと現れる人の姿は、どこかユーモラスで、詩や漢文などの故事のような何かの隠喩のようにも思える不思議な印象を受けました。


最後にalec soth先生のsleeping by the mississippi。
今や写真を撮る人の中では世界で一番の存在感と言っても過言ではないのではないでしょうか。
東海岸でも西海岸でもないミシシッピを巡る21世紀のビートニクス。
解説も英語なのでまだその真意や解釈もままならないですが不穏な気配に満ちています。
壁、ベッド、宗教、そして表情から喜怒哀楽が読みきれない人々。
私はこう読んだ!みたいなお話聞かせてください。

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