同じ神奈川にありながらなかなか半島方面に向かう事は意外なほど少ないのですが、少し前のよく晴れた日に横浜横須賀道路を南下するといつの間にか道路の際にはソテツだかヤシの木だかが生えていたりして、家から1時間未満でちょっとしたトロピカル気分。いいじゃないですか横須賀。
目指すは海軍カレーでもなければどぶ板通りでもなくお初の横須賀美術館。
糸で描く物語、刺繍と絵とファッションと。正直針に糸を通すことができてもそこからどうしたらいいのかわからないほどに刺繍音痴ですが、多様なアプローチから刺繍の世界を旅するように見ることができて大満足。
スロヴァキアやルーマニアといった東ヨーロッパの民族衣装から始まって極北イヌイットの世界へ。そして現在の作家さんの表現としての刺繍、オートクチュールへ。堪能しました。

布をキャンバスにした世界中で花ひらく表現方法。
写真やドローイング、あるいは文章に直接何か印を残すことができるという意味でも面白いなと思いました。そしてピアッシングやタトゥーにも似た針の痛みを伴う行為のようにも感じられる縫うという所作の怪しさよ。

それにしても気持ちのいい美術館でした。目の前には穏やか芝生、そしてすぐそこまで迫る穏やかな海。
初夏の穏やかな陽気と波の音に誘われて予定を変更し少し海沿いの観音崎公園を散歩してみることにしました。

予想以上に深い森、そして姿は見えずとも一定の間隔で呼吸をするように繰り返される波音。
まったく予備知識はなかったのですが鬱蒼と茂る木々の中からちょこんと顔を出す灯台がなんとも愛おしく思えて導かれるよに茂みの奥へ奥へ。

1925年に生まれた観音崎灯台。もうすぐなんと100年じゃないですか。注意書きのフォントも一周してなんか斬新。
はるか太平洋から吹く潮風はなんともダイナミック。髪の毛なんて一瞬でたわしみたいにもじゃもじゃにされますが不思議と爽快。もういっそ凧になり飛んで行ってしまいたい気分に。
彼方には水中聴測所跡。
これが通常使用だと思うと、台風の日とかどんなことになっているのでしょうか。ガタガタ震えながらも観測してみたいっす。。

特に何かが凄かったという訳でもない海沿いの公園の散策でしたが、その日の晩にふと横須賀の話を母親としたところ、子供の頃にあなたは観音崎公園が好きでねぇ、よく連れて行ってくれとせがまれたもんよとのこと。

前世の記憶じゃないんですかと言いたくなるほど記憶にないのですが、どこか懐かしいような色褪せた一日だった事は、その思い出すことがもうできない深く溶けて無意識の中に溶け込んだ幼少期の時間のせいだったのかもしれません。
これから年を経て忘れていく経験や思い出が多くなっても、それは消えていくものではなく、自身の心の中でいずれ魂のようなものになっていくといいなぁと思ったり。

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