ケララ州の文化の中心地、トリチュール。
何度か話題にもあげましたがこの時柚希さんは体調悪化、腹痛のピークに達していて1日のほとんどを宿で寝ている状況。ビスケット食べてもだめ、バナナ食べてもだめ、進退、いよいよここに極まったか。
とはいえ動かなければ家にも帰れない。あまり馴染みのない街ですが今回カヌールからコチまでの間の中継地点として一泊しました。
そんなこんなで一人散歩をする時間が多かったトリチュール。まったりした街の様子を徒然とご報告。

久しぶりのインド。経済成長とコロナを経て大きく変わったのかとドキドキしながらの再会でしたが、体感としてはいい意味でもそうで無くてもほとんど変化なし。ただ街中にアラブフード、いわゆるケバブ的な店が増えたかなとは思いました。
そんなニューウェーブのケバブをナン状のもので巻いたシャワルマなどを出すお店の店員さん。普段インドに行くとカレー以外食べることはないので新鮮でした。それにしても、どんな街でも顔見知りができるってのは嬉しいものです。
思えばアラビア海を挟んで中東はすぐそこ。ドバイに出稼ぎ行ってたんよって話してくれる人もおりました。

もうじきトリチュールはお祭りの季節。
何頭もの象が煌びやかな衣装を纏い寺院に並び、人々は熱狂と共に祈りを捧げるそうです。
建築としてもインドネシアなどに近い印象。興味深いです。

柚希さんもずっと部屋にいると気が滅入ると散歩についてきたのですが、ここでダウン。
お寺の境内の大きな木の下で、安らかに眠りないさい。。

自分もこの街に来るまで知らなかったのですが、街に聳える悲しのみの聖母教会はインド最大、アジアでも3番目に大きな規模だとか。インドはヒンドゥー、イスラムだけでなくキリスト教の大国でもあるのです。

ヒンドゥー寺院で感じる大きな神話のコスモロジーに畏怖し身を任せる歓喜の感覚、モスクの厳格で心身を引き締め己を見つめ直す感覚とも違う。教会で自分が感じるのは悲しみと安らぎ、慈しみ。
インドの喧騒の先で静かに手を差し伸べる聖母もまたこの国の一つの側面なのだと改めて思うのでした。

この教会の後、涅槃仏と化した柚希さんと合流しコーチンへ。
さまざまなすったもんだを経てこのまま帰国になるとはこの時はまだ知る由もなかったのでした。。

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