長くなってしまった奥能登芸術祭の日記も最終便です。
映像作家さわひらきさんの作品、幻想考。
映像と現実の境界がおぼろげで、妄想が二次元のスクリーンを通り越しインスタレーションとして侵食してくるようでいつも興味深く拝見させてもらっています。
仮想現実にはあまり肯定的ではない自分ですが、テクノロジー頼りではなく、だまし絵のような繊細な感性とユーモアで構築されていく表現はとても面白いものですね。

吹き抜ける風や揺れるレースもまた作品の一部。
氷が主題となってひたすら怪しい物語を紡いでいく映像作品。見るのは二度目だったと思いますが惹きつけられて結局最初から最後まで。
作家さんの祖父が病気になった時に船で氷が運ばれてきた体験に基づいているらしいです、ひやっとする美しさと怪しさ。

薄暗い館内から外へ。
表現から次の表現へ繋ぐ眺めがまた詩的。

記憶への回廊。
会場内に描き廻らされた迷宮のようなドローイングと塩の階段。


上りつめた先には何もなく、そしてそれは崩れ始めているのでした。
どこかに行くためのものではなく、階段が階段として続いていくことが大切なのかもしれません。

海をのぞむ製材所から浜辺に模様を刻むアース・スタンピングマシーンへ。

能登半島、海も風もとても柔らかいです。

使われなくなった空調から吹く風で笛が鳴る。。

凹凸がひっくり返った手が水をすくう。全て地元の方の手から型を取っているそうです。

こちらの手の中にはワカメ最中。ワカメ味の和菓子ですか。。なんて緊張感が伴うおやつ時間でしたがうまいうまい。かつては樹木希林さんが修行にいらっしゃったとか。

金沢の学生さんたちがアートを作り息を吹き込んだ屋敷跡。
前回訪れた時に何もなかった小さな田んぼに米が実っていました。

たちこめるはずのない鉄の湯気が銭湯の記憶を蘇らす。
キノコのような石鹸を添えて。

長くなった旅もそろそろ終わりが近づいてきました。
廃線になった能登線に沿うように、半島の海岸線を弧を描くように旅が続いてきた芸術祭。忘れることの意味を問い直す。

個人的には駅のいたるところに突き刺さって不動の傘が好きでした。

石川直樹さんの展示にもありましたが、秘境の中の秘境のような印象の能登半島、大陸から見るとその立場は大きく存在感を増し、弧を描く日本列島の中で手を差し伸べているような存在。
また縄文時代には狩猟採集ではなく定住をしていた人々が暮らしていたという真脇遺跡もあり色々な意味で最先端の土地だったのかとも思います。
時が、人の流れが移ろえば世界の中心も変わるのでしょうか。それともそれは常にその人が日々を暮らす中にあるのでしょうか。
また訪問したい魅力溢れる土地の旅でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください