また長崎の街からはだいぶ離れることになるのですが、もう一つ、どうしても訪れておきたかった場所がありました。
平戸の田平天主堂。
教会の入り口にはルルドの泉。
苔むしたクロス。そして壁には銃痕が。
先の大戦では兵舎に使われた歴史を持つ聖地。
我は復活なり命なり、我を信ずる者は死すとも生きん。
ヨハネ一一の二五
唯一ノ希望ナル十字架ヲ崇メ奉ル
中のステンドグラスが溜息が出るほどに美しかったのですが、残念ながら写真撮影はNG。
死後に天国があると信じた人々が見た光景。
平戸、長崎のもうひとつの戦い。
殉教の歴史や潜伏する信仰をわずか数時間の滞在で理解することは到底できないと思いますが、さらに深く知りたいと思うきっかけにはなりました。
宣教師の後に武器商人、そして軍隊が来る列強の進行を食い止めるためには致し方ない歴史なのか。あるいは理解と寛容性が欠如した我々の恥ずべき行為なのか。
それぞれの考え方があるとは思いますが、僕は封建時代に飢饉や年貢に苦しむ人々の支えになったその信仰という力は本当に尊いものだと思っています。
信じるものを縛る踏み絵の歴史から我々が今何を学ぶのか。
色々考えることの多い旅になりました。

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