少し前の話になりますが画家の香月泰男さん、生誕110年を記念した回顧展を見に練馬までやってきました。
戦後、ソビエトに連行された記録と記憶を描いた作品を中心に構成された展示。
白一色、ツンドラでの日々をほぼ黒一色で描くシベリア抑留のシリーズがとてつもなく恐ろしい。
捕虜の瞳は皆一様に虚ろで光はなく、希望はないが手だけが格子越しに空を掴む。
何もない土地で、理由や意味もなく、名前もない存在として過ごす日々、地獄よりも底冷えする大地を描ききっている作品と言えるのではないでしょうか。

香月さんは戦争の悲惨さを描いた作家さんとして知られていますが、当然それ以前、そしてそれ以降にも創作活動は続いていて、今回の展示では、その描く風景やモチーフ、色使いが戦争以前と以降でどのように変わっていったのかが時系列に沿っていて、興味深く展示されていたように思いました。
一枚一枚の作品に込められた不条理に対する怒りやメッセージはもちろん、展示を見終えた時に感じるのは、取り返しがつかない地獄のような体験は当たり前ですが平和になって解決ではなく、日常の中に戻っても、瞼の裏や浅い眠りの中の夢などに潜み続けるのではないかと改めて思いました。

今改めてロシアとウクライナが戦争状態にある中で、それぞれのメディアが自身の国こそが正義であり、被害者であると連日大きくメディアで取り上げられています。
暴走してしまったロシアに憤りを覚えるのと同時に、一人一人の人間の一度しかない人生に取り返しのつかない傷や死をもたらす戦争について改めて考えます。
戦後と言われた時代を生きてきた自分にとって一つの時代が終わってしまったのか、あるいは大きなうねりを止める最後のチャンスなのか。
僕は殺すのも殺されるのも、抑留されるのも、英雄になるのも全て望んではいなく、死ぬまで旅をしたりカレーを作ったりして生きたいなと改めて思うのでした。
そういった日常が何事にもかえがたい特権となる日が来ないことを願います。

晩年は一瞬一生を座右の銘に家族と過ごす時間をかけがえのないものとして過ごした香月さん。
自分の母親と香月さんの展示行ってきたよと偶然話をしたのですが、私このシリーズ好きなのと見せてくれた写真はシベリアではなく廃材などを使ったおもちゃと名付けられた素朴で優しいクラフトのシリーズでした。
タヒチなど温かい国を戦後よく旅をした香月さん。
心中は察することしかできませんがそれでも生きていてよかったと思われていたのではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください