先週の月曜日、これから何かをするには時間がだいぶ経ってしまった昼下がり。しかし週一回のお休み、家でゆっくりするにはあまりにもいいお天気だしどうしよう、なんて家で悶々としているとぼんやり眺めていたネットニュース。
そこで偶然発見した小さなツイート、小田原の浜辺にクジラの亡骸が漂着したとの報せを見つけて急になんとも言えない気持ちになり、心臓がドキドキしてして家を飛び出しました。

以前より浜辺に流れ着くものに異常な関心を示し、消えかかったハングルや漢字あるいはキリル文字の書かれたガラクタを拾っては眺めて思いを馳せるという怪しい趣味があるのですが、魚をはじめとした海の生き物の亡骸に出会うことはほとんどないように思います。パッと出てくるのはハリセンボン一匹。
底に沈み分解され養分となりまた海に溶けていくのでしょうか。
どの階層に生まれ変わるにせよ、シャチでもフジツボでも、クジラでも海に還っていき、全ての命を支える存在になる。
しかし境界線を越えて大海原から姿を現したその姿。それは優しく大きな魚の王様ではなく、忘れて久しい畏怖の念を思い起こすほどに異様な姿に見えました。
一つの魂が宿るにはあまりにも質量が大きく、まるでそこに重力が宿ったかのように視線をそらすことができない存在感。

小田原の喫茶店でお茶をして再度日が沈んだ後に浜辺へ。
日中より異臭も強く得体の知れない姿として境界線上に佇む亡骸ですが、海との同化が進んでいるからか、月明かりに鈍く光る肉の塊をぼんやり眺めていると、ざわざわした気持ちが不思議と溶けていくような気分になるのでした。
心地よく音だけ聞こえる波と視界を包むような肉の塊。
今日も慌ただしく過ごす日常ですが、世界のどこの浜辺でゆっくりと音もなく静かに循環していく命があると知ると、世界はここだけではないと安堵にも似た気持ちになるのでした。

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