まだ夏が真っ盛りだった頃、秩父の奥の奥。三峯神社に行ってきました。
かつて人と狼が共存していた時代。時に敬い、時に命を奪い合い。
それでも山と里に分かれそれぞれが生きるため、あるいは種を残すために命を燃やしていた時代。


やがて技術に人が溺れ、最後の境界線を越えてしまった時を境に、日本の狼は絶滅したと聞きました。
まだ害獣であると同時にそれが犬神であった頃の精神の名残を感じ取ることができるような場。
一つの種が途絶えることで、それに捕食されていたものの数が増え、増えすぎた生き物の食料がなくなるといった連鎖には我々も傍観者ではいられないのではないかと思うのです。
最近また熊や猪といった山の獣と人里の境界線が曖昧になり悲しい事故が増えていると聞きました。

クローン技術で失われた種を復活させるなどの話も聞いたことがありますがそんな浅知恵で、仮にも神として祀った存在を都合よく取り戻すことが果たして最善なのか。
かつて毛沢東が大躍進政策でスズメを大量に殺し、そのねじれた因果が農村に降りかかったことがあるという話。
色々考えることの多い訪問となりました。


奥多摩に立ち寄った後の訪問。
粘り強い夏の日差しも傾いて。

少し陰った光と伸びきった影。
狼は僕らが知る犬とは本質的に異なる存在であると、その場の鋭利な空気が首筋にかいた汗を冷たく冷やします。

それにしても豊かな森。
今だに目撃談の絶えない日本狼。
聖域の奥、深い霧の中、息を潜め牙を研ぐ存在。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください