東京方面からは距離があるにも関わらず、お客さんも含めるとほぼ毎日行ってきたよなんて声をかけてもらえたアースプラザのインド古典芸能、歌舞劇の展示も気がつけばあと1週間、31日までの開催となりました。

派手なビジュアルに惹かれてはるばる海を越え訪問したベンガルと南インドですが、余韻のように残り、反芻するように感じるのは、なぜ今、この時代にも人々が今自分の存在する次元とは違う場所に神聖なものを感じることができるのかでした。
目に見えることにしか、どこかの学者が存在するか否かを数式で決め、それを鵜呑みにすることを当然としてきた僕でしたが、最近感じるのはむしろ認識の力です。

世界に色があるのも一人一人が角膜に反射した光、色彩を、例えば海なら青と認識することで初めて成り立つ世界であるように、我々が暮らす世界も皆で認識を共有することで成り立つものである。
先日読んだ本に、例えば人類がいなくなった世界にトンボだけが残ると、太陽からの波長を全く異なった色彩として認識するとか。
つまりその世界にはもう真っ赤な夕日や、青い空、緑の森は存在しないことになると。
もっとみじかな所ではただの紙切れが通貨になったり、それが広がり経済になるように。

当然のように家中に神話世界のポスターがあり、町中に神殿がある世界での神々。
そこで渦巻く共通認識としての何か、風土に漂う何かが、人々の肉体を間借りするような形で降りてくる瞬間。
それは合理的であるべきという教義を持つ一神教で生まれ育った自分にとって、意味や理由の向こう側の熱を見ることのできたとても価値のある瞬間だったと感じています。

それまで笑顔で話しかけていた男が、やがて言葉にはし難い、空気が変わっていく瞬間。
テイヤム 、ヤクシャガーナ 、チョウ。
展示は8月31日まで。ぜひ遊びに行ってやってください!

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