和歌山から飛んだ沖縄。最初に一番行きたいところから行こうと考えていました。後悔のないように。
沖縄本島はこれで3度目の訪問、ようやく訪れることができる斎場御嶽と海を隔てて東に浮かぶ久高島へ。

日本とは異なる神が、異なる形で祀られ、そして異なる理で世界を構築していました。
自転車で東の果てまで。地図はあっても、そしてなくてもいい。
ゆっくり進む太陽の軌跡を辿るように、風が吹いてくる方向に。感覚だけで進んでいける道が実に気持ちいいのです。
のどかな空と道、しかし不意に現れるのは絶対に入ってはいけない禁忌地域の存在感。
異なる世界の異なる時間の流れ。ここが島だからなのか、音や情報がほとんど無いからなのか、あるいは何か想像もできない理由なのか。不思議なもので、僕はこの地に随分長く滞在したようにも感じたし、一瞬のようにも感じたりもしました。

特定の信仰を持たない僕ですが、太陽が昇る場所、世界が果て海が始まる地、そしてガジュマルの根が絡む巨大な岩に、人の営みを遥かに超えた存在に対する、畏怖のような気持ちは今も持ち続けています。
戦争、薩摩、琉球、そのもっと前からそこは聖地であり続けた。人がそこに特別なものを感じるのは、理屈や理由が生まれるもっと前からその人の中に宿る何かのせいなのかもしれません。

遥か南のスラウェシで見た巨大な岩をくり抜いた墓地を見ました。そして前日までいた和歌山、熊野の速玉大社の御神体の岩。
限られた時間しか生きれない僕たちに、永遠を象徴する存在が無言で語りかけてくる何かを感じ取ることができたらと思いました。

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