さて、お手並み拝見。。なんて余裕ぶっていましたが本当にすごかった。
有名な企業の派手な花火が必ずしも最高というわけでもなく、花火を愛し続けて何十年の同好会の打ち上げる花火がめっちゃよかったりするのが印象深かったです。
写真の話なのですが、花火を撮るのには三脚必須、数秒の露光ができるカメラ、可能ならばバルブ撮影とレリーズ、あるいは多重露光やお家に帰ってから合成で成り立っていると認識しているのですが、そもそも希薄。そして最近いよいよこういった、いかに綺麗に派手に撮るかということに対する情熱というか意識が薄くなっていっていると感じ、その気持ちも確信めいてきたようにも思うのでした。
AIの台頭もそうですが、そもそも花火密度の濃い画像だから何だという話に。特に美しくもないし嘘っぽい。
そしてカメラ覗き込んで両の瞳で花火を見ることなくずっと作業している、それはまだいいのですが、でっかい脚立とか持ってきて後ろの人の迷惑を省みない輩などを見ていると恥ずかしくて胸が痛い。
もう一つネガティブな話をさせてもらうと、さすがに渋滞がえげつない。
残り2、30分の段階で我々は席を離脱。郊外の駐車場まで走って、そこから高速道路の最寄りから一つ南のインターにダッシュ。ていうか急ぎ過ぎて道間違えたりもしたのだけれどもとにかく会場から離れなければと無我夢中で南へ南へ。
なんとか渋滞なしで高速に乗れたもののじわりじわりと背後から迫るように渋滞の魔の手が迫ってくる。。駐車場も1日料金3万近い提示もあったりと混沌としていました。
難しいと思うけど河原にキャンプできたりしてもう少し余韻に浸れたら気持ちがいいですね。
なんやかんや塩っぽいことも書いてしまいましたが、長岡花火は1946年の空襲からの復興、そして亡くなった方への慰霊の意味を込めて開催されている大会。
始まりを告げる白一色の花火、白菊は長岡花火の礎を築いた花火師、嘉瀬誠次氏がシベリアに抑留された仲間に向けて作ったそうです。
今でもこの白菊は長岡空襲のあった8月1日の午後10時半に花火大火関係なく打ち上がるそうです。
戦後である今が戦前にならないように。世界が平和の意味と尊さを失いかけている今、たくさんの人が同じ夜空を見る花火の持つ意味は重みを増してきているようにも思うのでした。
花火はもちろん素晴らしかった長岡で、もう一つ最高だったのが縄文!
午後から夕暮れまで、本来静かに時間が溶けていくまったりした時間帯に、雷光のような速度でベビーカー押して駆け抜けてきました。ここでのお目当てはなんと言っても火焔土器。かの岡本太郎も唸ったと言われる逸品。
そして時代を経て今も尚、器と食の合わせを楽しみ続けていられる我々と食との関係について、もっと深く知りたいと思うのでした。
さらに蛇足ですが、一点だけ。
以前八王子のハンバーガー屋さんを訪れた時に、食後にくじ引きをおこなっていますというキャンペーンがあったのですが、何の期待もせずに柚希ちゃんに託したーとお任せしたことがあるのですが3000円相当?のお食事券当たったどー!ろ踊りながら報告してきたことがあってびっくりしたのですが、今回の長岡旅。
またまたやってくれました!
即手作り餃子に変えてもらって腹一杯。
縄文シャーマン系の神がかりなのか。もっています。

















