47都道府県、それ以外にもメジャーどころの離島など、訪れたという点においては日本中わりと網羅したかしら。なんて思いあがっていたのですが、まだまだ日本は広い。改めて地図を見ると本州の中心部の隆々とした山脈の奥深いこと。特に中山道の深淵部、木曽はずっと訪れたい憧れの場所でした。

仲良くしてくださっているお客さんに木曽の阿寺渓谷の透明度と清涼感がすごいよとお伺いしたご縁もあって思い立って早起き。いつもなら寝る時間に近いような時刻に起きて旅支度をはじめました。

日帰りするには遠いし、一泊するには微妙に近いような、そんな距離感を感じていましたが高速道路を使うとあっという間に諏訪湖でございます。
ここからはるか浜松まで流れる天竜川に沿って今度は南に向かうのですが、自分はこの川に沿って残る景色や文化、伝承や祭事がとても好きです。
古くから続く山と里山の関係性、受け継がれてきた文化を恩恵と感じることができる人々と風土。目先の利益や発展ではなく、もっと、ずっと先まで時代や循環を俯瞰する感受性。
山に囲まれた木曽に入った途端に、少し気配が変わったようにも思えたのでした。うまく言えませんが目に見えないものを信じることのできるふわっとした腐葉土の上に立った時のそれに近い感覚。

道の駅では朴葉の味覚。

そしてついに阿寺渓谷にやってきました。エグいほど水綺麗。
気合い入れて、前のめりで海パン持ってきたのですがつま先入水だけで眉間までキーンとする冷えっぷり。
圧倒的な静寂と透明感。目を凝らすと岩魚がスーッと現れては消え、春翠はぽちゃりぽちゃりと小石を水面に落とし、広がる波紋に驚いていました。

良き景色だねー!なんて声かけていたら、いつの間にか爆睡。

渓谷から妻籠宿へ。中山道を行き来した旅人の歴史と情緒、そして気配が僅かに残る、古い山と道の物語。
家族写真ばかりですが。

そういえば木の向こうに見える橋を超えて宿場町に行くんですよと教えてくれた駐車場のおじいさん。目が悪いからか橋の欄干上部のアーチを太鼓橋と空目して、うぉ!マジっすか!上れるかな〜的なだいぶ気持ち悪い反応して変な空気になっていましたね。

その後は木曽おもちゃ美術館。閉館時間きわきわに入ったためとりあえず全てで一通り遊ぶぞとつむじ風のように駆け抜け遊びまくる我々。

それにしてもやはり木のおもちゃはいいですね。モンテッソーリとか子供が生まれる前は興味があったのですが、実際日々の慌ただしさの中、youtubeのセサミストリートやピコピコ鳴るおもちゃに頼っていたところ大きい今日この頃。
一番気に入っていたグリムス社の虹のおもちゃ。いいなぁなんて思っていたのですが今調べたら17600円。。舐めても良い塗料を使っているなどのこだわりは素敵ですが、これはなかなか。。

遊び場以外にも古い小学校を利用したワークショップなどの会場もあり、こちらも素敵な雰囲気。古い校舎の廊下をおにぎりのように転がり走り回る僕ちゃん。僕たちからしたらノスタルジーそのもの、あるいは甘酸っぱいを超えて、もはや前世の記憶のような淡すぎる思い出ですが、彼は数年後から始まる六年間に今から思いを馳せていてるようにも見えました。よろしいですな。

夕暮れ時にもう一箇所渓谷を。
寝覚の床という不思議な名前のこの場所、水の透明感よりも地球そのものの表皮を垣間見るような荒々しくも美しい奇景が見応えありました。
この不思議な名前はあの浦島太郎が竜宮城を旅した物語が全て夢で、目を覚ました場所という逸話から名前がついたとか。胡蝶の夢、あるいはマルホランドドライブのようないわゆる虚実が滲み合う話に寂しいですが、どこか惹かれる思いがあります。

最後に帰路の途中、辰野に立ち寄りました。
あいにくの小雨だったのですがそれでもふよふよと漂う光に皆うっとり。近所の公園でも蛍は観測できるのですが桁が二つくらい違い驚きました。

数100年、あるいは数10年でも遡れば日本中でこんな景色が当たり前のように見られていたのかもと思うと、我々が得たもの、失ったものについて考えさせられます。

それにしても久しぶりに朝から晩まで一生懸命旅をしました。

 

 

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