少し前ですが東京で二つの美術館で展示を見てきました。天王洲アイルにあるWHAT MUSEUM、Reborn-いのちを織りなすアーティストたち、そして近代美術館のヒルマ・アフ・クリント展。

全く異なる二つの展示でしたが、作品が美しい、迫力があるといったことだけでなく、作家が日々を生きる中、何を考え、その創作がどこから始まり、そしてどのような物語を経て作品になったのか。
AIが仕事の効率化だけでなく表現の世界にもじわじわと浸透する中で、もしかすると手仕事、あるいは人が行う表現に何か光明が残されるとしたら、その未完成で儚い存在であるゆえに我々が何を思うかを僕は見たいのかもしれません。

reborn展が印象的だったのは、制作にあたる原材料と作品の因果や関係性。
例え長沢碧衣さんは自身がマタギとして狩猟した熊からとった膠を使い循環の尊さを今一度問う作品を描きあげ、水田典寿さんは漂流物や廃材から動物の死を連想させる彫刻を作り上げていました。
マルチスピーシーズとしての視点や今ある生が永遠のものではない、しかしそれは絶望ではなく希望でもあるのだと語りかけてくれることが嬉しい。

一方、全く異なる時代、テーマの作品で構成されたヒルマ・アフ・クリント展。
時代を先取りした知られざる北欧の天才、あるいは神秘主義に傾倒したスピリチュアルな女性作家。その特異な作風と降霊術を使いインスピレーションを得て描く作品は抽象画の先駆であると同時に顕微鏡で覗き込んだミクロの世界でもあり、そのさらに奥にある霊魂に記された記号のようですらありました。
特に10の最大物と名付けられた人生を描いた連作。巨大な薄暗い展示室にモノリスのように聳え立つ圧巻の展示。

いずれは志を共にした降霊術を行う仲間と神殿を作り、これらの作品をそこに展示するという壮大な構想の元に作られた作品群だそうです。スピリチュアルという言葉ではまとめてはいけないような人生をかけた見えざる世界との対話。圧巻でした。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください