去年のことですが、お休みをいただいたとある平日に一人でお台場を訪れた日がありました。

その日はとてもよく晴れていました。日差しはとても明るく、前を歩くお母さんと娘さんの笑い声、そして往来の車の音だけが聞こえるような、空がとても広い眠たくなる午前中。11月だというのに羽織っていた上着を脱いで新木場駅から夢の島公園に向かったこと覚えています。
きっと常夏のビキニ諸島もその日、1954年の3月1日はいつもと変わらない高い空と雲、水平線、風に僅かに揺れるココナッツの葉が擦れる音が聞こえるような静かな日だったのではないでしょうか。

第五福竜丸。水爆に汚染された船が今でも夢の島に展示されています。
広島長崎に落とされた爆弾の実に1000倍の威力を持つという水爆の実験とその後に降る死の灰。この汚染はあらゆる生き物を内側から、そして場合によっては何世代にもわたって苦しめる、自然の摂理から逸脱した、人が手にしてはいけなかった恐ろしい存在であると改めて展示を見て思い知ることになりました。
その汚染は魚など口に入れることで遠く、日本をはじめ地球上のあらゆる場所で被害を拡散させる恐れのあるものでもある。そこにもはや国境などなく、一つの種として人類が向き合わなくてはいけない問題だと改めて思いました。

核を今所持している国が、新興国に核を持つなと語る今の歪な世界。また核保有国は攻め込まれることはなく、逆に侵略する時に優位に働く。
そんな世の中、技術も予算もあり、周囲には関係が良くない国がいくつもある日本が抑止力のためにも核を保有するべきなのではないか。
国益という点においてはもしかするとその通りなのかもしれません。同時に勇気を持ってそれでも核兵器にダサいからいらないと言える国が現れないと世界は刻一刻と破滅に向かって行ってしまうのか。

自分自身のため、大切にしたいと思える自分以外の人のため、あるいはこれから生まれてくる命のため。今の当たり前と思える平凡な日常が続きますように。

偶然やっていた山内若菜さんの大きな大きな絵の展示も素晴らしいと思いました。

 

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