即神仏をご存じでしょうか。苦行を経て生きながら仏になる。
五穀を断ち死を超えた永遠の瞑想を経て、弥勒菩薩が世界を救う56億7千万年後に備える発想は僕の想像力をはるかに超えた世界です。
奇しくも日本海沿岸を中心に広がった即神仏信仰。写真撮影は禁止されているところがほとんどなのですが、それでも直接お会いできる即神仏には、ほとんど巡礼できたのではないかと思っています。

特に即神仏の文化が色濃く残っている、庄内地方の出羽三山。
月山、羽黒山、湯殿山。三つのがそれぞれ過去、現代、未来を象徴していると言われる土地でその全てを内包するかのような存在に自らが成る。
すごい話です。

写真は即神仏が安置されている部屋の天井画。

エジプトなどのミイラは死後、防腐処理をおこなったりするそうですが即神仏は生前から食事などを抜き、地下深く埋めた個室で自主的に体の中を整えていくそうです。想像を絶します。

新潟県村上の大悲山観音寺。
仏海上人が入定された穴。
日本で最後に即神仏になられた方だそうです。深い。。

こちらは庄内の本明寺さん。

前回の訪問ではコロナの関係でお会いできなかったのですが、展示前、山形の飛島を訪れるタイミングでお邪魔させてもらいました。住職のお母さんが対応してくれたのですがとても親切で素敵な方でした。

ものすごいプライベートな話ですがこちらの本明海上人さんが土中入定された日付が僕の誕生日の5月8日でした。奇遇ですねと。
そんな話で盛り上がれるお寺さん。大好きです。
即神仏のある山形、庄内地方の浜辺は静かで夕日がとにかく美しかったです。
海の向こうにあるとされてきた時間の流れが違う世界。
僕も蓬莱、竜宮、常世の国を想像してみる。
日本よりもはるかに先進国だった大陸の国々。
流れてくる文明のかけらに先人はマレビト、神や神仙が暮らす世界を感じたのだろうと思います。
八百比丘尼は杉や松を自身の生きた証、あるいは対等な時間を生きる存在として植えながら旅を続けたそうですが、もう一つ、長寿を連想させない椿も彼女は好んで植えて旅をしたとされています。
椿はその咲き方も見事ですが、花そのものが突然落下するような散り方もまた印象的です。

自分だけ枯れる事がない花であること。植えた椿が枯れていく姿にどういった思いをのせていたのか。

写真は即神仏の前にいけてあった造花の椿。散る姿。比丘尼が千手観音を寄贈したと言われる塩船観音寺。場所は意外なことに青梅。東京まで来てたんですね。

比丘尼の足取りを追う、時を超える話を求めて旅を続けましたが、人間の想像力は時に距離も超えるようです。
埼玉、秩父のやや北、長瀞岩畳の近くに位置する氷雨塚。
こちらは竜宮城に直結しているとされている穴。
福井の若狭にある比丘尼が入滅した洞窟も兵庫県につながっているとか。。

こちらは若狭の空印寺。
日本中に散らばる八尾比丘尼の物語が800年の旅を経てこの洞窟に集約されていきます。
自分が入った時はすぐに道は塞がれてしまっていてその奥がどこに繋がっているのか知ることはできませんでした。

最後にひんやりする対馬のオソロシドコロを。
名前の通り恐ろしい禁足地。今では解放されているとはいえ尻込みする響き。
今回は八丁郭をご紹介。

ここは天童信仰という対馬以外では名前の聞かない信仰の聖地。
数々の軌跡を起こし天道法師が今も即神仏となりその中に眠るとされる石のピラミッドと広がる原生林。
意味深にまかれた塩と艶やかに散っていった椿、そして霊感とか全くない自分が尻込みして引き返したくなる空気が渦を巻いているように感じました。

もちろんオカルトやホラースポットなどではなく、天童信仰の聖地。
しっかり靴を脱ぎお参りして帰ったのですが、後日あそこなんだったんだろ。。って思いインターネットで調べてみると、やってはいけない禁忌が書いてありまして。曰く、靴を脱ぐ、大声を出さない、物を持って帰らないに加え帰りは後退りして振り返らずに帰ると書いてあるじゃないですか。
さらにおすすめは犬の子、犬の子(インノコ、インノコ)と唱えるべしと。
そんな大切なことは大きく張り紙や看板に書いてほしい。
そんな情報全く知らなかった私。今はすくすく健康に過ごしていますので安心だと思うのですが、いやはや焦りました。

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