我々が見慣れた日本地図をぐるっと逆さにしてみると不思議な弧を描く島であると改めて気付かされます。大陸から見ると僕が住む関東は奥のまた奥。辺境の地です。
逆に佐渡や対馬、隠岐といった離島、そして能登半島は大陸からやってくる海の旅人にとってアクセスの要になる最前線、境界線に位置していることに気が付きます。
風や雲の通り道、大地のうねりや構造線。月や太陽の軌道。
そして日本を囲む四方の海には季節ごとに流れを変える海流、潮の道があります。
その大きな流れに導かれるように人々は交わり文化や町を作り栄え、あるいは心地よさや気配や感じ聖域として祀ってきたのかもしれません。
能登には比丘尼が植えた椿は徳保の千本椿と呼ばれ鬱蒼とした椿の原生林に成長していました。
彼女が旅の中で杉や松、椿を植える場所もこうした、我々がわずかにしか感じることができなくなりつつある不思議な気配の道が交わる、特別な場所だったのかもしれません。
能登の夕日は息を呑むような美しさでした。
令和6年能登半島地震により被害に遭われた皆さまへ、心からのお見舞いを申し上げます。そして、ご家族や大切な方々を亡くされた皆さまへ、謹んでお悔やみを申し上げます。
キリスト教圏では神の敵として扱われる蛇。日本では脱皮を繰り返す蛇は復活、あるいは不死の象徴として人々から畏敬の対象として存在していたようです。
古くは縄文土器にその紋様が描かれ、また神社の注連縄も重なり合う二匹の蛇であるという説もあるようです。
特に白蛇はその希少性からか会うだけで縁起物とされてきました。
白は古来より死の黒の対になる永遠の色。白比丘尼、白山信仰。漂白され標本として保管される海洋生物、波に揉まれて漂白された漂着物。様々な白に出会う旅でした。
ちなみにこちらの白蛇は表参道の蛇カフェさんで撮影させてもらいました。緊張して訪問したのですが、一匹一匹に可愛い名前ついててほっこり。
大陸では伏犠やナーガ。日本ではオオモノヌシの化身だったり仏教では弁財天の一部として宇賀神として祀られたりしています。蛇や月に復活を夢見た古代の人の心の根底にあった命への想いは今も変わらず我々の中にあるのでしょうか。
一般的にはアンデルセンの人魚姫のビジュアル、絶世の美女に下半身が魚の認識ではないでしょうか。僕も一度だけ訪れたことのあるディズニーシーでリトルマーメードことアリエルのショーを見て心奪われました。
その正体は謎が多く、生態や個性も多種多様。ただ長寿に関するエピソードは不思議と共通して語られることが多いように思えました。
あるいは福岡の人魚は150mとも記されているように、鯨、あるいはシャチやイルカと言った海に暮らす哺乳類からインスピレーションを得たのかもしれません。
体験から語ることのできない死を想像し抗うために、不思議な生き物を想像しそこに永遠を想像する。
人類がここまで成長したのは見えないものを想像し、その認識を共有することができるからだと書籍で読んだことがありますが、この歪なキメラの剥製も人の内面をそのまま具現化した姿のようにも思えてきます。
福岡の人魚の骨は恐竜のそれを思わせるレベルの大きさ。
直接肉を食べずとも、この骨を浸した水を飲むだけでものすごい生命力をお裾分けしてもらうことができるとか。その匙加減が本当に難しい。
どう考えても閉まっているでしょと思いつつも役所に電話したところ基本無人で鍵かかっていなはずなのでどうぞと、けどこの時間にあそこ行くんすかみたいなニュアンスを若干感じたり。。
ぜひ遊びにいらしてください。そしてお気軽にお声がけください!