海岸線の無限とも思えるゴミを、それでも注意深く見つめながら歩いていると、落ちているゴミの中に不思議な存在感を放つものがあることに気がつく時があります。
ロシアの乳製品、北朝鮮のパイナップルジュース。
どういう経緯で海に流れたのかはわかりませんがツンドラの中の個人商店で購入し、暖房のよく効いた部屋で子供に飲ませていたのかもとか、国民が上に苦しんでいると報道でよく見るけど意外だなと思ったり。想像と妄想が止まりません。
ちなみに翻訳アプリで調べてみたところパイナップルはツブ入りって書いていました。
諸説あるのですが、八尾比丘尼が食べてしまった人魚の肉は庚申講の夜に持ちこまれたものであるとする話が多いです。
庚申は六十干支と呼ばれる中国のカレンダーによって定めたれた日、あるいは年になります。
十干と十二支の組み合わせでカウントするので60日に一度訪れますね。
甲子園の甲子とか戊辰戦争の戊辰とかがそれになるようです。
一周すると還暦。60歳。
庚申の夜、人の身体に住み着くとされる三尸と呼ばれる虫が、宿主の人間の悪事などを天帝にレポートにいくため、やましいことのある我々はその夜眠らずにオールしてレポート提出を阻むということらしいです。本尊も道教と結びつきが強そうな青面金剛。
ちなみにこの三尸、虫とされているのですが予想を超えるビジュアルしています。興味がある方はぜひ検索してみてください。
この宴に人魚の肉を持ち込んだ者は誰なのか。
長生きしたいと願う人々の想いや欲望が際立つ夜に不死の肉を持ち込む意図は何のか。ミステリアスです。
大昔の話かと思っていたらうちの父方の実家のすぐそばに庚申講の集会所があったり、家からお店に来る途中にも青面金剛の像があったり意外と身近。
今回の物語の主人公は八尾比丘尼ですが、日本海には時を超えた人がもう一人。多分ほとんどの日本人が知っている浦島太郎は京丹後を舞台にした物語です。
元々は日本書紀にも載っているという話、主人公は浦嶋⼦という名前で地元の名手。478年に常世の国を旅した物語が、後の世の後付けで亀を助ける件、玉手箱の件などが加わり今の話になったそうです。
実際に物語の舞台を旅してみると、竜宮城から故郷に帰ると700年とも言われる時間が過ぎていたという話、そして現地には絶望した浦島が皺を投げつけた(?)木というものも存在していて、 幼い頃に思い描いていたトロピカルな恩返し物語とは一線を画した世界が広がっていました。
浦島が訪れた、後に竜宮城とされた常世の国と我々が暮らす世界の時間の流れは一定ではなく、一般相対性理論の物凄い重力を持った世界を旅していたかのように伸びたり縮んだりすることに言葉にし難い、容易に踏み込んではいけない領域のようなものに薄寒いものを感じました。
訪れたらシンプルに命を奪われるよりも残酷かもしれない、時の迷宮。時間を超えた理は人の手に余る、取り返しのつかない後悔と紙一重に存在するのかもしれません。
少し脱線しますが、同じ地域にある大江山の妖怪、酒呑童子の館の庭も四方四季と言って同じ空間に全ての季節が入っている歪みのある不思議な特異点だったそうです。