唐突ですが、そしてカフェ営業とは無関係ですが、見に行ってから時間が経ってしまった展示、せっかくなのでいくつか思い出してみることにしました。

横浜トリエンナーレ。三年に一度地元開催なのに、正直行ってきたという声をほとんど聞かなかったように思うこの祭典。自分も多分第一回から皆勤賞で訪問している気がしますが、振り返ってみると最初の方の一回以外あまり興奮したことがなかったようにも思います。
そして2024。改装を終えた横浜美術館を中心に大きな会場をぐるっと巡ってきました。

芸術祭好きで、割と日本中散策兼ねて色々訪れているのですが、大地の芸術祭や瀬戸内などベネッセが絡んでいるところは名の知れ渡った大物アーティスト、逆に中之条などは無名でも挑戦的な作家さんなどなど徐々にその芸術祭の個性がはっきりしてきたようにも思います。そんな中、良い悪いではなく、横浜はとにかくメッセージ色が強い。意地悪な言い方をすると重くて暗い。。
そして今回、野草、いま、ここで生きている。
魯迅の詩からの引用。今回もせめてきそうです。

いつもに増してどよんとした会場。もうポップな作品を混ぜて雰囲気を中和することから手をひいたような思い切った雰囲気。
しかし自分はそんな雰囲気よりも、世の中の理不尽に対する憤りや無常感、あるいはできることについて考えさせてくれる良い展示だったように僕は思いました。

ウクライナやパレスチナだけでなく、地球規模で全体主義の増加や、どの国もテクノロジーを使った監視化が進み自国で溜まったストレスや不満を異なる民族やイデオロギーにぶつけることが増えてきたようにも思います。
国家間の問題だけでなく、個人個人の関係性もパンデミックを得て加速する実際には顔を合わせないSNSの普及、どのようにも切り取り演出や改ざん出来る数値やデータ、論破や炎上などといった空虚な新しい暴力。全ては人間が孤独に対して弱く、臆病になってきているのかなと思いました。

アートを通して世界は変えることは難しいかもしれないけれど、自分自身を変えることはできる。スマホ越しの誰かと比べた差ではなく、自分自身の中や側にある大切なものを見つめ直し、短い人生で本当にやりたかったことを見極め毎日を過ごしていくきっかけにはなるのではないかと思うのでした。

長々書いてしまいましたが個人的には写真の作品、アネタ・グシェコフスカさん、そして畏敬の念すら抱いてい志賀理江子さんが圧巻でした。両者とも恐ろしい写真ですが美しく儚い。そしてとても多くのメッセージが込められれている作品であると思いました。
また別会場BankART KAIKOで見たクレモン・コジトールさんのブラギノという作品がすごかったです。シベリア東部、無限に広がるタイガの森の開拓を行う二つの家族が所有権を争い険悪になっていく作品。
ドキュメンタリーなのか物語なのか区別はつかなかったですが、無限に広がる土地を前になぜ人は所有にこだわるのか。またそれぞれの家族の子供にとってほとんど唯一の友達と親の事情で争いを続けていかなくてはいけないのか。戦争の根源にも通じる人間の弱さ。とても深い問題を美しい映像で表現されていて閉館時間まで見入ってしまいました。

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