文字通り息も絶え絶え到着したプクタル。
チベットでお寺を詣でる度につくづく思う、なぜここに建立されたのですかという問い。その思いも極まる不毛の渓谷の奥の奥。肩を寄せ合い息を潜めるように、それでいて力強く岸壁と調和する白亜の建物群はとても美しく感じました。

プクタルゴンパの前に一件だけある雑貨屋兼ゲストハウス。本当はお寺さんに泊めてもらおうと考えていたのですが、未だシーズンには少し早い時期だったからか宿坊を使うことは難しく、結果この山羊頭が印象的な不思議な空間に泊めていただく事になりました。
部屋や食事はいわゆる山小屋に近い感じ。こんな山奥の商店だからものすごい無口で頑固な山男、あるいは仙人みたいな方がオーナーなのかと思いきや、まさかのシャレオツなイケメン。
なんとなく流れでゴンパにもついてきてくれる事になったり頼りになる男。

それにしてもゴンパ。洗練はされていないのかもしれませんが味が滲み出ています。この風合いは狙って出せる物ではないぞと。
不規則なリズムの階段や剥がれている塗装やブロックがとてもかっこいい。

いわゆる建築学、建築法に則って作られた日本の都市から来た我々。衣食住に限った事じゃないけどもっと想像力に身を委ねてもいいのではないかと思いました。
小さい頃ワクワクしながらページをめくったバーバパパの家とかムーミン谷の光景は東京よりザンスカール、プクタルゴンパに近かったなと思い出しました。

いよいよ頂上へ。僧院は半ば洞窟と一体化していて、そこには無数の鳩が暮らしていました。

羽が空から降る寺院の頂で仲良くなったテンジン君は8歳からプクタルに入り11年目。彼は何を見つめ、何を祈るのか。

宿の兄ちゃんとも仲良しだったみたいですね。かっこいい男は背中で雄弁に語る。

プクタル厨房からの眺め。カレー作ってたけど材料どうしているんだろう。

完全に俗世とは隔離された聖地、ではあるけれど少しづつその距離も縮まってはきている。僕がいわゆる秘境と言われるプクタルの情報を知っていたようにテンジン君も携帯を持っていて待ち受けはナルトだった。
良い悪いではなく、それもまた曼荼羅に記された大きな流れの中の一つなのかもしれません。

いつかこの記事を読んで写真を見てくれるかもしれないし、僕もまた彼の地を訪問するかもしれない。その時はまたこの川沿いの道をとぼとぼ歩いて行けたらいいなと思うのでした。

 

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