先週より始まった石川武志さんの写真展CALCUTTA。
聖と生と性が路地裏で交差する街。怪しくも魅力的な展示の様子を少しご報告させてもらおうと思います。
作家の武志さんもほぼ毎日在廊してくださっています。日々色々な旅人や写真家の方が来てくださり、そこで交わるお話聞ける事が本当に嬉しいです。
初めてお会いした時はどこか凄みがあって、怪しく、しかし形容し難い魅力を持った人だなと思っていたのですが、会う度にその半生で成し遂げてきたことの凄さを知り驚かされました。同時に一人の人間としてもすごく魅力と親しみが増して、今も会う度に新しい発見があったりして興味が尽きない人なのです。
ブラジルの労働者しかいないような鉱山にヒッチで訪れた話。あるいは鮎釣りとか蘭の鑑賞など意外な趣味を持っていたり底が知れないです。
先日は差し入れで家庭菜園のミニトマトをいただきました。超美味しい。まさかそんな一面があったなんて。
しかし写真のことを語る時は本当に鋭く身が引き締まります。
まだお会いして間もない頃、写真表現は織物のようなもので、社会制を持つ普遍的な縦軸と自分だけの世界の横軸を交差させてはじめて意味を成すと言われたことが今でも覚えていて、大切にしたいなと思っています。
それが武志さんにとってはLGBTの問題や水俣とインドのヒジュラやガンジス、あるいはブラジルのジャングルの向こう側だったのかもしれません。
そして念願の写真集もついに出版!その名もNAKED CITY VARANASI。裸の街バラナシです。これがまた壮絶。
サドゥ、全裸はもちろん、色々な意味で、常識や日常、肉体すら脱ぎ捨てた裸の魂。
そういったむき出しの姿を聖なるガンジスのほとりで誇らしげに晒す聖なる街の記憶。
販売も開始したようなのでご興味のある方は是非!
ちなみに記念すべき師匠の出版、僕が最初の購読者になります!って鼻息荒くして、武志さんも真っ先に持って行ってやるよ、みたいな話していたのに、お席でご一緒になったお知り合いにあっさり販売していたりして笑。
そんなこんなですが、作家さんが半生を捧げた深遠なるインドの世界を楽しんでいただけたらと思います。そこには死という普遍性も、一人の人間の生の記録も織り込まれていると思います。