我らが港町、横浜が今、静かに熱いです。
先日訪れ、そして想像していたよりも興奮してしまった光のイベント、smart illumination。その余韻を引きずり、あるいは引きずられ、これまで東京ばかりに向けてしまっていた意識をググッと足元に引き戻し、地元横浜にフォーカスしてみました。
まずは久しぶりのbankart。
展示は柳幸典さんのワンダリング・ポジション。
複数の友人から行くべし!と熱く語られていたこともあり期待で胸が高まります。
風刺と言うにはかなり過激なメッセージ。
そしてイデオロギーや国境線に縛られない視点から俯瞰する、このグローバル化すればするほど閉塞感が感じられる世界、そしてその先に見える人間の弱さや矛盾点を抉るような作品は、他人事ではなく、今まさに自分がいるこの国で起きていること、そして自分自身の問題なのだと改めて指摘されたような衝撃。
閲覧者、傍観者でなく、僕は今、当事者なのです。
チャイナも
アメリカも
そしてジャパンも。等しく蟻に蝕まれていく
そもそも国家とは何なのか。なぜ当たり前のようにこの枠組みに属して常に人類は競争し続けているのか。今年よりも来年にさらなる急成長を。たとえ他人、他民族を蹴落としてでも、遂げていないと滅んでしまうかのような人類の焦燥感。
そして生まれた場所、その一点だけで一生覆ることのない格差が当然のように存在して、その格差があるから回り続ける経済。
アメリカも
そしてまた日本も。
柳さんの個展は初めての訪問で、いろいろ衝撃を受けたのですが、以前に訪れた瀬戸内芸術祭、ここで僕が衝撃を受けた作品精錬所、この作品がまさに柳さんの作品だったと、お恥ずかしながらその時初めて僕は知りました。
三島由紀夫の小説がモチーフになっている作品、イカロス・セル。
月に到着し、人工知能を生み出し、仮想現実に遊ぶ我々が今、太陽に近づき過ぎて、蝋の翼を失い自滅したイカロスから学ぶこと、何かあるのかもしれません。ラビリンスのような通路を逃げるように進んでも、なぜかいつも自分の背後に迫る太陽。
恐ろしい作品です。
放射線が生み出した怪獣が国民的なアイコンになっている僕の住む国。
本当は姿は見ているのだけれども、気がつかないだけ、気がついていないふりをしているだけで、モンスターは現実世界にも息を潜めてこちらを伺っているのかもしれません。
息がつまるような巨大な視線、廃棄物の中からこちらを伺っていました。
窓の外には静まり返った夜の海。