日本の夏を感じる、小さな旅に出ました。
川越、風鈴の音色に包まれた氷川神社へ。
知らぬ間に風鈴文化は再び市民権を得ていたのか。軽い渋滞ができるほどに境内の風鈴回廊はにぎにぎしておりました。
神が宿る大木
日本人と狐の関係は興味深いです。彼らはなぜ化けるのか。
聖なるものなのか、その逆なのか。いろいろ知りたい事はたくさんあります。
風が美しく、光もまた美しい。
空気の動きを可視化できるだけでなく、音楽として感じることができるなんて
だけれども、形はないけど気配はあるもの、そういった揺らぎのようなものについて考えてしまう音色でもあるのかもしれません
美しさにも、そして時に怪しさにも。
僕は風が鳴らす鈴の音が大好きです。
川越からさらに北東へ。久喜の街に提燈祭り、天王様を見物に訪れました。
風鈴から提灯へ。風から灯火へ。
駅前のロータリーでは獅子舞が。
僕はもう本当に獅子舞が大好きでして。頭がっつり噛まれたい衝動にいつだって駆られます。
獅子ってそもそもライオンなんでしょうか。室町時代の人ライオン知っているんでしょうか。僕の知る限りインドくらいまで行かないとライオンっていないと思っているのですが、中華街の正月や、インドネシアのバロンダンスなど意外とアジアの各地で獅子の姿を目にします。麒麟もまた然り。
情報や噂が人から人に、海をも越え、東へ東へ伝わっていく過程で野獣に神性が宿ったのだとしたら、それはとても興味深いことです。
例えばインターネットで世界が繋がったとされる今、こう言った聖なるものはもう生まれることはないのでしょうか。あるいは実態のない噂だけが世界を巡るこんな時代だからこそ怪物はいつの間にか生まれてしまうものなのでしょうか。
月は満ちて。今宵の夜に闇の入り込む余地はありません。
人の海の中に浮かび上がる提灯の塔。祭りに宿る高揚感。夏!
それにしてもものすごい迫力です。本物のろうそくで灯った提灯を揺らめかせながら細い商店街を煽るように照らして。
地域ごとに異なる提灯。山車同士がぶつかり合う時の張り詰めた空気がこの祭りの醍醐味の一つなのかもしれません。
刻むビートもかなりアグレッシブに。戦国時代突入。
火の塔は止まらない
一番驚いたのはものすごい勢いで山車が回転する瞬間。
雷鳴のような音を轟かせあっという間に90度、180度。
そして外壁を顔色一つ変えずによじ登る若い衆。