だいぶ月日が経ってしまいましたが吉田で毎年行われている火祭りを訪れました。諏訪神社と浅間神社、二つの起源と伝説を持つ大祭。
400年以上前から行われている祭りですが、その起源は建御名方神や木花開耶姫命にまつわるものだそうです。
まだ神々と人が同じ世界に住み、そして夜を照らす火が神々から人類の時代にシフトチェンジするきっかけとなった英知の結晶だった頃の話です。
それからわずかとも言える年月で人は鉄を溶かし、月へ辿り着き、核を融合させるきっかけとなった火をそのままの姿で眺めることは今やあまりなくなってきたようにも思います。
今も昔も時に制御できないほどの力を持つエレメント、実際このお祭りも想定外の強火でチリチリっと髪の毛を炙られ、ウェービーなパーマに磨きをかけるハメに相成りました。
積み木並ぶ街は戦国時代のようでもあり、どこか現代美術のようでもありました。静かな緊張感。
風習なのか訳ありなのか、あるいは戯れかなのかはわかりませんでしたが種火からその火を移し持ち帰ろうとする人もいました。邪を寄せ付けない何かご利益のようなものがあるのでしょうか。
人類が最初に見た火は落雷による山火事だったのでしょうか。あるいは噴火によるマグマか。
日本古来の神々に奉納するにふさわしい荒々しい原始の炎。
嬉しいことに僕の大好きなお神楽も奉納されるようです。予期せぬ出会いに興奮!
将来、花火とかに興奮できない大人なってしまうんじゃないかといらん心配をしたり。。
火はいつか消えるからうまく人と付き合えるのだとぼんやり思いました。
消えない火は神の領域。人が手を出してはいけないものなのかもしれません。
日々火を使う、少し珍しい仕事をしているわけですが、数年前一度とんでもない火傷をやらかしたこともあったりして、その恐ろしさも恩恵も含めて、畏怖にも似た気持ちを今も持ち続けて日々を暮らしています。
少し脈略のない話になりますが友人は沖縄に移住した理由は?という問いに家の前でキャンファイヤーができるからと答えてくれました。
この先も、電気やそれに変わる何かで暖をとり明かりを灯せると世の中でも火と付き合っていける暮らしを続けたい。そんな希望を持っています。
炙り面