花と呼ばれる奥三河の祭りに行った辺りからでしょうか。お祭り、特に古くから細々ではあるかもしれないけれどもしっかり風土や歴史に根付いた芸能への関心が高まる一方です。
今までどちらかと言うと旅先の関心としては国内より海外だったのですが、車で数時間の距離に存在するハレの世界。それは時として何千キロ離れた世界の日常よりも奇妙で魅力的な空間だったりするのです。
今回訪れたのは千葉県。横芝光町の広済寺さんで行われる鬼来迎にやってきました。
鬼来迎、その穏やかでない名前の通り、地獄とは、因果応報とはなんたるかを演劇で啓蒙するヘルオペラ!大好きな仮面をかぶった演者による舞台という事で気持ちは高ぶります。
会場はこの入り!そして猛暑!菌類のようなひっそりしたライフスタイルを送っていた私、開演前に三途の川を超えそうなオーバーヒートです。
沸騰寸止めで一人ぐつぐつ煮えている内に虫封じと呼ばれる、新生児への安全祈願がはじまりました。ここで言う虫とはいわゆる疳の虫。
ここでがっつり泣いておけばその後は健やかに育っていくと言う言い伝えなのですが、大人でも泣きたくなる鬼婆との抱擁にも関わらずけろりとしている赤ちゃん多数。ほほえましい一幕でした。
ふと空を見上げるとジェット機。思えば成田を超え、銚子や九十九里もほど近い東千葉。チーバ君で言う所の後頭部。
ここまで来たのは初めての事だと思います。
魂が肉体を離れてしまっていたのでしょうか。いつの間にか神の目線で千葉をながめている内に本編スタート。
こちらは閻魔大王の従者。軽やかな舞を披露。
鬼来迎の起源は鎌倉時代にまで遡ると言います。まだ今より地獄がずっと身近にあった時代。
小さい頃ゲゲゲの鬼太郎地獄巡りみたいな本を読んで、あまりのえげつなさに大の閻魔様恐怖症に陥った事がありましたが、少年犯罪やいじめが蔓延する昨今、今の日本には閻魔&地獄が再び必要とされているのかもしれません。
こちら黒鬼さん。アッ、アッ、アッァー!と必ずスリーカウント数えるように動くことが印象的でした。
こちらは赤鬼さん。こちらも三拍子でリズミカルに亡者の皆さんに手痛い仕打ちを繰り広げていきます。
この地獄軍団、持っている武器をぶん回したりするのですがけっこう本気でおっかない一幕も。鬼婆にいたってはあのビジュアルでデバ包丁所持。
はしゃいで見ていたローカルキッズもいつしか沈黙。煉獄の本気が気まずい沈黙を生み出します。
こちらは亡者ズ。地獄の沙汰も金次第という言葉の通り、亡者役の御両親から袋に入ったおひねりが舞台に向けて投げ込まれたりして少し場が和みます。
しかしそれでも悪鬼は止まりません。兵糧攻めだったり釜茹でだったりあの手この手で亡者をいたぶります。
サディズムここに極まれり。抑止力としての地獄は必要なのではと思っていましたが凄惨過ぎてやはりいけません。争いを争いをもってして制することはやはり限界、そしてむなしさがあります。
武力行使が横行する地獄に現れたのは地蔵菩薩。そうです!最後はやっぱ慈悲なのです!アイラブ地蔵。
地蔵のみが世界を救うと言っても過言ではないと思います。
そんな興奮と納得の地獄絵図をようやく脱出。
迫力と教訓の中にも優しさとユーモアがあふれていて、大満足の観劇でした。
ここからさらに東へ、海岸線を目指したい所でしたが興奮しすぎたのかここでUターン。海鮮に舌鼓を打つのはまたの機会に。
帰路地図を見るとあの成田を通過するじゃありませんか。
広済寺で見た飛行機が脳裏をよぎります。
夏の空とジェット機は切っても切り離せない関係。
少しだけ寄り道をして成田空港に隣接するさくらの山公園を訪れてみることにしました。だらだら長くなってきたのでこちらのレポートはまた後日。
それにしても無形文化財に認定されていたりするとその格式の高さに尻込みしてしまいそうになりますが、受け継がれてきた芸能の持つ、現実と寓話のぼやけた境界線の持つトランス感覚は若い世代をも充分に魅了しうるものだと思うのです。
地域活性化が課題となる昨今、芸能や祭りも古いものとしてただ保存される存在としてではなく、新たに地域の人々の集まるきっかけとしての新しい存在意義、そして離れていった人々と活気を取り戻す場としての役割を帯びているように感じました。
その場所でしか存在しない観光資源として、新しい存在意義を持つかけがえの無い、文字通り地域にとっての文化財でもあるとも言えるのかもしれません。
即ち鬼や地蔵の時代が再びやって来たという事です。。多分。