長崎のランタンの夜の余韻に浸る間もなく、未だその夜も終わらない内に活動開始。一路東へ。
産業遺産、教会、そして温泉と様々な寄り道をしつつ、日が暮れる頃に到着したのが大分県国東半島。目的は修正鬼会。
六郷満山と呼ばれる山深い半島の寺院で旧暦の正月と追儺、それに民間信仰。様々な要素が混じり合う炎と鬼の夜。
今回はその中の炎の写真を幾つかあげさせてもらおうと思います。

二夜にわたって繰り広げられた修正鬼会。
一夜目は天然寺さん。
少し遅れて訪れた境内にはすでに数本の超大型松明が唸りを上げて振り回されている状況でした。
飛び散る火の粉は小雨の如く。まるで意に介さず。
普段見慣れている制御された火と違い、触れれば命奪われる畏怖の象徴、そして暗闇を灯してくれる恵みとして大いなる力。その解放された姿は僕の心の奥に真に迫ってくる様に感じました。
松明と松明が力試しの様にぶつかりあう瞬間。

小さな残り火にも意を宿している様に感じる、そんな祭りの始まりでした。
二夜目は、岩戸寺。
前日の反省を生かし、祭りが始まる少し前に到着。
全国の石造仁王様の8割を有するという国東半島、恐るべし六郷満山。みなぎっています。
そしてここでもまた火を守護するかの様に文字通りの仁王立ち。胡椒団子を焼く、その力もまた火。

経が書かれた板で作られた松明が続々と集結してまいりました。
圧倒的な熱量を放出しながら木から木へ増え続ける、神々の恵み。
火をコントロールすることで忌を払い、夜を照らし、ここまで歩んできた我々。消すことのできない火すら手に入れた今、最後まで自身が燃やされる側でないと僕は確信を持つことができなくなる、それほどの光量。
掲げた松明は順に石段を登りはじめ聖域の奥へ。
暗闇の参道が導火線に。燃え、上がる。
背中には鬼の一字。
僕も夢中になって駆け上がりました。2、3日前までは日常の中にいたのに、一体何が起こっているんだと。ふと我に帰り、そしてにやけてしまったり。
僕はまだ火が怖い。そんな当たり前のことを再確認できただけでもよかった。
最上階の伽藍にその恵みを奉納し、松明はその役割を全うしました。
ここからは舞台を伽藍の中に。
火から鬼へ。
まだまだ夜は始まったばかりなのでした。

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