577おそらくはキナーレと並んでメインの展示場の一つ、農舞台の中はえらいことに。その名も今日の限界芸術百選。
正直わけがわからん作品が続く中、以前から気になっていた切腹ピストルズの映像作品があるじゃないですか!
江戸が蘇り現在社会と戦うという壮大なテーマ。虚無僧系ハードコアにのけぞりが止まりません。
564偶然か必然か、屋外では車も当然の様にモヒカン。天に向かって唾を吐くような反骨的な上り坂。oi!
584アナーキーin the EDOから一転、郷土資料館へ。
妻有と京都の結びつきを提灯に綴った作品。郷土資料館の展示も素敵だったのですが案内してくれた地元のおばあちゃんが本当にキュートで。来てよかったなぁと心から思うのでした。
614ガイドブックなどでも今年の目玉のように扱われていたイ・ブル。以前にも森美術館でやっていたやっていた個展に行ったりと期待大。
密封された診療所の嫌な感じに光る銀の廊下。
632閉鎖的な集落の蔵の奥を覗いた時に感じる様な暗さ、気配、語り継がれてきた伝承。個人的にはすごい好きな雰囲気でした。
613外からのビジュアルも、そこはかとなく不穏です。
674アネット・メサジェ。藁の豚
689漂う道具。女性たちが使っていた切る物、刺す物ばかりですね。
670一つ一つはもこもこしたぬいぐるみのはずなのに。。なんだか背筋にぞくっとしたものを感じます。
699もぐらTVと同じく、こちらも市原アートミックスで衝撃を受けた大巻伸嗣さんの作品。暗闇としゃぼん玉。気配を表現することができる作品が大好きです。
703こちらは道中見かけた崩壊すつつある家屋。
数十年のローンを背負って建てる家もあれば人知れず崩壊し土に帰っていく家もあるんだなと。他人事ではないですが、なんだかしんみり。
710訪れた方ならわかると思うのですが東京や横浜と違って集落と集落の間には間のような空間があります。
海外で言う所の国境を超えていくような昂揚感を感じるこの間を抜ける瞬間。
松代から松之山へ。
744横浜のbankartで工房を公開していた時から大ファンの松本秋則さんの作品。竹と音と影と。
761ポリリズムが原始の、何か記憶のような物を刺激します。
786おそらくは、ほとんど注目されないのではと心配になる、使われなくなった廃道、坂の先にある球のオブジェ。怪異そのものとしか表現できない出会い。
周囲には人の気配無く、ころがり出してきたらとどうしようと、じんわりとした緊張感が面白かったです。
782ポップでドリーミーな列車も停車中。
791毎回通るたびにほっこりさせられるかまぼこハウスアート。
読み解くのが難解な表現、ナイフのような風刺に混じって現れるこういった作品が大好きです。
802ほっこりさせてくれるのはかまぼこハウスだけではありません。道の隅に佇む仏様やお地蔵さんが。ポイ、ラブ、道祖神!
809レベッカベルモアの作品は樹齢800年の杉の周りに袋のような物を並べるインスタレーションだったのですが、正直作品ふっとばす大杉の迫力!
幸い地域に詳しい方がいて色々話を伺ったのですが、震災の影響でわずかに残っていたこの集落に住む人々もついにいなくなってしまったとのこと。けどこうして自慢の杉を見に来てくれる人が日本中から来てくれるのは嬉しいなと笑顔で語ってくれて。
人がいなくなった集落に、人がまた住み始みはじめることは可能のなのか、簡単ではないとは思いますが、御神木を中心にきっとまた何かのご縁が始まり広がっていくと確信めいたものを感じました。
831気が付くと閉館時間間際。最後の訪問は枯木又の学校へ。
量のアートか。なんだかハムスターハウスに迷い込んだかのような削りまくりを見学。
834一体何をしているんだろう?と思わせたら勝ちみたいなところも正直ある気がします。
838わたし、呑み込んではまた空になるチューブなの。というタイトルが衝撃でした。そして作品を見てそれ以上の衝撃が。
842思えば我々人類も皆、呑み込んでは空になるチューブ。
永遠の渇き。業は深いです。
655夜明けからとっぷり日が暮れるまで、電光石火の勢いで巡った越後妻有の大地の芸術祭。正直消化するのはもう少し時間がかかると思いますが、それでもびりびりするような刺激は感じられて。よき訪問でした。
前回の訪問の様子もそのままになっていたようなので、またご紹介できる日があれば、と思います。

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