年に一度、二度。
ただただ圧倒的な鋼の塊をぼんやり眺めてみたくなります。
今年は7月、じっとりとした夏でした。
 

威圧的な曇り、灰色の夜の下、変わらぬ無骨な姿で世の中が必要としている何かを黙々と生産し続ける、その従属的な巨人の群れ。

工場萌えといった浮かれた気持ちは段々としぼんでいき、昂揚感の後に訪れる哀愁に似た気持ちがなぜか到来したりします。

ややもすると本質よりも装飾が大切に思われる世の中で。

エンジニアの皆さんが何かの拍子でいなくなり、自分だけが世の中に残された時のことを想う。

 生産と消費。
現在社会の生と死を司る工業地帯をたまに訪れたくなるのです。

嗚呼、それにしても。。いい。。
 

 使わなくなった時に住居として賃貸契約を結べない物だろうか。
最上階から流れる滝を想う。鹿や羊や亀が集い寄り添いあう未来を想う。

もういっそあぶられたい。

 箱型プラント!スケルトンボディにごっくんっす。

 わびさびすら感じるぜ。。

エコとエゴの交差点に立つ。

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