GWも一段落。久しぶりにインド旅を振り返ってみようと思います。
マドゥライからの夜行バスは懸念の通り深夜ど真ん中にコーチンに到着。
午前3時到着。やってくれました。しかもバスターミナルでなく路上におもむろに停車。いつもは勢いよく集まって来てくれるリキシャメンすら皆無。街灯は一本。深海の様相です。
このコーチンという街がやっかいでバスが止まった新市街とツーリストが訪れるフォートコーチンとの間ががっつり離れいてフェリーかバスに乗らないと辿り着くことができません。
とりあえず朝日が昇るまで。
心を無くし2,3時間僕は路上に転がる石と変わらない存在となり、徐々に空が藍色になるまでひたすら放心を続けるのでありました。
6時頃だったでしょうか。フェリー乗り場までとぼとぼと歩きだしようやく出航。
朝日に輝くアラビア海は閉ざしていた心を溶かしてくれるようにきらきらと輝いていました。
とこでこのコーチン(現在はコチと呼ばれているのでしょうか)。インドにあってインドに非ず。清潔感があり静かで、並行世界に迷い込んで来てしまったかと錯覚するような街路地。
もう一点あたりまえのように生えてる樹がでかい。でかすぎる。
ツリーハウスどころかツリーアパートできそうな規模の樹木があちらこちらに。
そして猫が抱き合う街。
不思議な場所に迷い込んできてしまいました。
砂浜、日傘、コンビナート。
どでかい軍艦みたいなのもずいずい通過していきました。
そしてジャイアントクラブ。ゴミを捨てるなというメッセージが込められているのか、あるいは不法投棄のターゲットに定められてしまったのか。
その微妙な狭間で彼は大きなハサミを天に向かって静かに突き上げるのでありました。
山羊が草を食べているこのお店は紅茶屋さん。チャイではなくティーざますの。
この辺見ると、あ、やっぱりインドだったねと。
とろけきった完熟マーメイドにどきどきです。
アラビア海沿岸に建てられた大航海時代の名残。奴隷貿易や略奪と言った虫唾の走る様な歴史はありましたが、それまで出会う事が無かった文化がダイナミックに交差する大航海時代は幼い頃より僕の憧れです。
はるか喜望峰を超えインドに立ち寄ったイベリア半島の人々の情熱と好奇心を思うといつだって鼻息が荒くなるのです。
キリスト教徒の老夫婦。
幼子に祝福を。
インドと言えばヒンドゥー、それにイスラームが少々みたいな認識でいました。
実際の所はわかりませんが、僕が見る限りだと皆さん本当に幸せそう。
少数派の信仰を持つ人々が差別や虐待を受けない社会の豊さ。
例えば僕の住む町にヒンドゥー寺院があったりモスクが建つという話になったら人々の反応はどんなものになるのでしょうか。
願わくば今僕の住む社会もまた、あらゆるマイノリティーに寛容であると、そう信じていたいです。
それが自分の理解の外側だったとしてもまずは笑顔で興味を持ってみることが大切なのかもしれないなとフォートコーチンの焼けた石畳を歩きながら思うのでした。
神様ステッカーや炊きもしないお香、衝動買いしたムチなんてのもありましたっけ。海外で買うお土産なんて日本に帰ってみるとなんでこんなの買ったんだろうと思うのが関の山。
そんな悟りきった顔してお土産物をスルーし続けた今回のケララ旅。どうせ出航するであろうムンバイやデリーで何でもそろうとたかをくくっていたのです。
いやしかし、この街の特異性はお土産にもあてはまるのでした。アンティークを中心に興味深いお店がたくさん。思い返すと、うわ、あれ買っとけばよかったと悶絶する今日この頃。
この牛面もそんな後悔の残留物。
太陽の光をプリズムに変換する飲料水。美しくも沸騰寸前か。
本当に静かで、蜃気楼の先の世界のようなインド。地元の人が40度いってるかもねと知らせてくれた太陽の光と熱がゆらゆらと思考をゆさぶり、意識をここではないどこかに連れ去ろうとするようです。
涼を取らねばと海を目指すと暑さを倍増させるようなおっさんの群れ。
それでも涼風は突然。そしてやはり、あくまでも静かに。
インドの中にあって完全に別世界のフォートコーチン。ただ静かであることが癒しに感じれる時に訪れたい街です。しかし猛暑対策はお忘れなく。
日記読み直したら僕はこの日6回シャワー浴びていました。