monday24近頃縁あって京都に通う事が多くあります。
凛とした伝統とそれに縛られることなく、かといってそれを突き放すわけでもなく、心地よい距離感を保ちながら今を生きる都。
なんだかその輝きがまぶしすぎて妬みというと大げさですが憧れ以上のものを密かに感じておりました。

今もそんな京都に向かう夜行バスの中で今このブログを書いていたりします。隣のお兄さんの寝息がリズミカルでいい感じです。
まだまだ普段使いとはいきませんが彼の地に頻繁に通う事情ができたことはなんだか少しむずがゆいような浮かれた気分になるのです。
monday11先日そんな京都にどういうわけだか母親とまさかの二人旅に行くことになりました。
家族でってのはあっても二人って初めてではないでしょうか。なんだか緊張しますね。
5時だったか6時だったか。まだ外は真っ暗なうちに家を出るからねと前日から鼻息を荒くする母親。
田舎が和歌山の我が家。まだ手を引いてもらって旅をしていた頃と変わらぬ持参の弁当をこしらえ、いつも同じセリフ、新幹線で眠ればいいじゃないのと言うのです。

小さなノスタルジーに浸ること数秒。あっという間に夢の中。体感時間2,3分で都接近のアナウンス。
意外なことに彼女は眠っていなかったようです。imageさてどうしましょという話になってたまげたのですがまさかのノープラン。ついて行くわよって言われましても。
もうこうなったらしかたありません。本当に自分が行きたいところを巡らせてもらいます。
西陣のカフェでランチ。はんなりシャレオツな若者に混じって母と息子がカフェランチです。しかも俺スーツ。最初はなんだかこっぱずかしかったですが昔京都に住んでいた父親との想い出など色々知らなかった話を聞き興味津々。改めて今自分がここにいるということはあらゆる、無限にある選択肢の結果、奇跡のような確率でなりたっているんだなとぼんやり思ったりしました。
それにしても自分の知る父と母が語る父との不思議なギャップが面白い。
もっと色々話をしたかったなと思うのでした。monday12西陣から一気に南へ、光明院さん。
重森三玲氏の作品、通称虹の苔寺。
monday13招き猫みたいに庭を眺め動かなくなった母。
ちょっと写真撮ってくんねと数分庭を眺めながら散策。
monday14しばらくして戻ると驚いたことに微動たりしていませんでした。
monday15なんか声かけるのも微妙な空気なのかなと思いぼんやり一緒に庭を眺めます。
ふと彼女の視線の先を追うと庭のそのさらに先、大木のその上の空を眺めているように見えました。
3月とは思えない陽気の空。

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