乗り合いタクシーは天空からさらなる高みへ。
ゴンパ、即ちお寺が連なる山の麓まで運んでくれました。
この日の宿は丘の頂上。ここから先は歩きとなるのです。
そして何という事でしょう。毎回毎回、この旅でも相変わらず想定外の荷物を大量にバックパックに詰め込んで来てしまった私。いつまでたっても読まない本などついついカバンに放り込んでしまうのです。
しかしここはすでに標高四千メートルを超えてしまっています。平地でも宅急便を使いたくなる荷物を背負って、よりによって頂上にあるというお宿に向けて亀の様な足取りで頂きを目指したのでありました。
rarun29それにしてもこの景色!絶景というのとはまた少し違う、人の想いがそのまま形になった美しさに心奪われます。想景、自分的には妄景。とにかく現実離れしています。
rarun32小さなお坊さんの小屋だけではありません。中腹には立派な伽藍も。
スピーカーからは大音量で絶え間なく読経が。イスラームのモスクでは定時にアザーンと言うお祈りが流れますが仏教では珍しいのではないでしょうか。しかも片時も止まることなく。
改めて自分がいる場所が観光地などではなく、厳しい修行と探求の場所なのだと身が引き締まります。
rarun01もともとの体力不足に加え、極度の方向音痴のの自分。最近ではiphoneのマップに頼りすぎているせいか勘も鈍る一方です。
ラルンガルでも御多分に漏れずやみくもに見当違いのピークをめざし汗を流していた次第。
言葉が通じない者に道を教えるのは思っている以上に厄介だと思うのですが、みなさん本当に親切に、中には途中の分岐まで付いてきてくれる方もいらっしゃって。嬉しい限りです。
しかしその案内の歩みが早い早い。心の蔵はすでに怪しげなリズム。
空気が足りない。
rarun03宿は、何という事でしょう、満室でした。。
頂上にいた少女は笑う事も、同情する事もなくじっとこちらを見つめていました。
rarun06基本メンタル弱い自分ですが心折れてる場合じゃありません。とりあえず荷物置いて、文字通りただ大地に置いて、宿の隣、稜線の先にあるお寺を目指します。
rarun04マニ車の設置された境内。
一回転、一読経。皆、右手でくるくる回しながら自身も円形に設置されたマニ車を時計回りに回ります。
円の外は皆、五体投地。
rarun10おじいさんと幼子。
輪廻転生という繋がりで考えるならこの二人の距離は見た目以上に近いのでしょうか。
ジャパンから持っていった重たい本の一つにチベット死者の書という物騒なタイトルの一冊がありました。輪廻や来世に備えてラマ教の僧侶が臨終の際に聞かせる枕経。
バルドとはなんぞや。きちんと読んでいけばラルンガルの事、ひいてはチベットをもう少し厚みのある視点で見つめながら旅ができるはずです。そう、読んでいれば。。

蛇足ですがけっこうファンの女優ユマサーマンのお父さん、ロバート A.F.サーマンさんは高名なチベットの学者さんなのですね。
rarun19それにしても薄い酸素のせいかいつもに増して頭がぽやぽやしてきました。
薄れゆく意識。なり続ける読経。だんだん気持ちよくなってきちゃってしまいました。
天国に近い場所で感じる絶頂感。危うい感じです。rarun11慣れてくると人が暮らすにあたって必要な施設もちらほら伽藍に混じって存在していることに気がつきはじめます。銀行、郵便局、食堂にスーパーマーケットまで。
疲れ切った身体に流し込むスプライトは甘露の味わいでした。
rarun23逆にラルンガルにないもの。森林限界を超えているのでしょうか、わずかな灌木雑草以外、植物の姿はほとんどありませんでした。改めて人々が暮らしていくには厳しい環境。
路地を彩るのはおそらくは中国産の作りの荒いビニールの造花。
rarun07こちらのユリもまた塩化ビニール。それでも花は咲いているのです。
rarun09逆に横浜にないものもたくさんあります。
例えばいたるところですれ違った牛?ヤク?
彼らの乳から作るバターやヨーグルトはきっと想像以上の恩恵を人間に与えているはずです。
rarun24中心部でもちょいちょいお会いしました。夜とかびっくりするんだろうなー。
rarun20意識も少し定まってきました。
中心部大伽藍のお坊さんたちの日常も少し覗かせてもらおうと思います。

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