カフェがお休みの時は写真のことを考えることが多いです。
以前は旅に出てそこの風景を撮ることが多かったですが、最近は気になるテーマで物語を作るために国内外を旅することが増えた気がします。
自分のプロジェクトの立ち位置を確認する意味も込めて、完結していないものがたちも含めて紹介させていただいています。
お店のサイトの写真のページから、あるいは直接こちらになります。
寺本雅彦ポートフォリオ

一つ一つが宙ぶらりんなままになってしまうことが多いですが、まずは7月11日より本郷台のアースプラザさんでテイヤムとヤクシャガーナのプロジェクトを展示させていただくことになりました。コロナで諦めかけた展示が復活できたこと本当に嬉しく思います。
この旅は2017年のお正月。もう3年半も前の話になりますか。
今年ちょうど追加で撮影をと思ったら旅行代理店にうちならビザの発給間に合います!と言われ申し込んだその日に正式に発給停止の令が公布。無念極まりない。
今見ると色々未熟ではその時感じた興奮や熱量は本物でした。
こちらがマンガロールという街で撮影させてもらったヤクシャガーナ。楽屋裏です。
旅する楽団でありながら、皆自分の役目の時だけ現れ、丁寧に化粧を施し、祈りを捧げ、それぞれが神や悪魔になりきり表舞台へ。
出番を終えると、各々終幕を待たず、それぞれの家路に、あるいはその場で毛布にくるまり朝を迎える姿になりいびきをかく。
格式ばかりを大切にして人々の心が離れてしまい廃れてしまうのではなく、神事でありながら、あくまでも日常の中にもう一つの世界が潜んでいるあり様が素敵だなと思うのでした。
それはこちらケララ州のテイヤムにも言えるかもしれません。
こちらはヤクシャガーナが歌舞伎だとしたら神楽に近い印象を受けました。
寺院で行われるそれは、より神聖でトランスなどの神霊的な浮世離れした姿を目にしました。
見た目のインパクトも言葉にはしづらいほどの艶やかさ。
なるほど、人間が持ちうる色彩感覚ではなく、境界線の向こう側にゆらぐ信仰の領域を垣間見ているのかもしれません。


以下が展示のステイトメントになります。ぜひ遊び行ってやってください!

信じるものの教義を唯一のものとするのではなく、世界の多様性をそのまま具現化したかのような、あるがままに咲き乱れる神々の世界。
そこには教訓や社会的な規範の暗喩があるわけでなく、ただ欲望のままに生きる力強い神々の生命が、輝きを失わなず人の心を掴んで離さない大地、インド。
夢と現、そして聖と俗。並行するはずの世界が交差する特異な世界の旅。

進路は南へ。
カルナータカ、そしてケララ。アラビア海に面した二つの州。
ガンジスやヒマラヤから遠く離れた、最果ての地で開花するもう一つのインド。

特に太陽が沈んだ後、夜の奥から感じた熱とゆらぎ、そして闇の中になぜか感じる彩り。
モンスーンの恵みから生まれた鬱蒼とした暗闇の奥で交差する神と人。

歌舞劇ヤクシャガーナは夜から夜へ旅を続け、人々に娯楽と信仰の権威を。
そして宗教儀礼テイヤムは自らの中に神々を宿すことで感謝と畏敬の念を。
干渉し合えるはずのない二つの世界に繋がりを生み出し、人間界には存在しないような躍動と彩りで確かな存在感を示す二つの夜。
それは僕の暮らす日常では想像することもなかった世界であると同時に、森羅万象に畏敬を感じ、我々は何か大きな存在の恩恵、あるいは気まぐれの元に生かされている感じる感覚。
我々の遠い記憶、遥か祖先が自然の中で感じて受け継がれてきた想いでもあるように思え、漂うようなうたた寝で感じるような、どこか懐かしい気持ちで境界線の宴を眺め続けました。

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