わずか二日間ですが色々用事があって訪れた関西。旅の空気、本当にひさしぶりで思わず口元がにやけたり。同時に普段人であふれんばかりの観光地がしんと静まり返っている姿に複雑な気持ちになったりもしました。
さて、京都から南に少し車で出かけようと思ったのですが、色々行きたいところをピックアップしていくと、取り返しがつかないほどに南へ。仏閣、古墳、博物館にカフェ、そしてまた仏閣へ。永久機関です。

気がつけば京都はおろか奈良をも貫通し故郷和歌山へ。
和歌山といってもその面積は相当広く、僕が子供の頃によく連れて行ってもらっていた場所は北南。和歌山市や海南です。これに対して、最近ちょいちょい立ち寄らせてもらっている東側の新宮や那智。
今回の目的地は半島の海岸線場ではなく、紀ノ川をさかのぼった山の中、橋本市の方。色々目移りをしてしまうような歴史と伝説が残る土地なのですがとりあえず三ヶ所。
学文路刈萱堂、鎌八幡宮、そして丹生都比賣神社。
すぐそこにそびえる霊峰高野と様々な因果関係で結ばれている土地。今自分が写真を通して考えていることと繋がる場所でもありました。
どこも凛とした神聖な空気と、静かで優しい光に満ちた本当に素敵な場所ばかりでした。京都、奈良ともまた少し違う山の気。
ありがたやありがたや。
苅萱堂さん。案内表記でここまでテンションが上がるのかって自分でもびっくりしました。
かつて人とマーメイドの距離はここまで近かったのか。
石童丸をご存知でしょうか。僕は正直知りませんでした。親子の愛情とどこまでもストイックに生きなければいけない当時の仏の道が交差する悲しいお話し。我々の美や正義の意識について色々考えさせられました。
魚拓じゃないけど、こちらに保存してある人魚のミイラの絵。
ディズニーやアンデルセンを想像していくとそのギャップに打ちのめされるかもしれません。。
ここはもう高野口。天空の入り口。

こちらは丹生酒殿神社の大きなイチョウ。
100年、1000年を越す樹木は時間や時代そのもの。そこに神を見出すのは極めて自然な考え方のように思える。そんな場所でした。
パワースポットとか陳腐な言葉はいらない。ただ感じて欲しい空気です。
鎌が抜けないと願いが成就するそうです。今は木の保護の為、鎌ではなく絵馬になったそうです。やさしい。
訪れる人も今は少ないのですが、そんなことはおかまいなしに咲き乱れる紫陽花。

たぬきに化かされているんじゃないかと思うような山道を板すら登っていくと、最後の目的地、丹生都比賣神社。なんと世界遺産。
入り口におったクロアゲハ。人を全く恐れず、導くように社の方へ消えて行きました。

ケロ太も鎮座。鳥居、特にここ丹生都比賣神社を印象付ける朱の中でやや擬態。辰砂の朱。

かつて吉野や天川といった場所を訪れたことがありますが、神社の持つ意味が我々が住む場所と全く異なるんだろうなと思う品格と佇まい。

雷を思わせる文様。

鎮守の森から差し込む光。はるか天空で作られる木漏れ日。

落ちてきた光

こちらは陰。

大好きなこうや君も大活躍。神社にお参りしてらっしゃるお坊さんがいたのも印象的でした。弘法大師とも縁深い神社。
人や時代がそこに何を見出そうと、山は山。
また改めて、次は高野山へ。

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