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先日渋谷に雪の下の炎という映画を見に行きました。
パルデン・ギャツォというチベット僧の半生を通して今、
チベットと中国でどういった問題が起きているかを追ったドキュメンタリー。
同時に僧という自分が日常であまり接することが無い人が持つ慈悲、寛容そして信念について深く考えさせられる内容でした。
映画を見終わって1999年に初めての長期旅行でラサを旅行した時の事を思い出しました。
冷凍庫のようなバスに二日間乗らなければならなかった事、
そのバス旅用に買ったお饅頭が一晩で完全に凍って、しかもなぜだか具が入っていなかった事、
湿地地帯で沈んだバスから助け出してもらった事、
ストリートチルドレンとラサでデパート巡りをした事、
不覚にも高山病にかかり、エベレストの絶景を前に犬と二人、宿で寝込んでいた事、
全ての出会いと澄み切った空、今となっては全てがいい思い出です。
そんな彼等の土地が、笑顔が蹂躙される事が無い日が来るきっかけに、
本当に小さなきっかけかもしれませんが、
自分にできる事、絶えることなくできる事を探していきたいと思いました。
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2 thoughts on “西蔵ではなく、チベットと”

  1. ほんま、僕も同感です。
    僕もチベットに行ったのが1999年、夏。
    ポタラ宮の前でストリートチルドレンとかっけこして、その酸素の薄さに死ぬかと思ったことを思い出しました。
    出会ってきたチベット人穏やかさ、温かさ、をネパールに入って激しく実感したことも。
    そして、忘れられない言葉があります。
    「中国人はすべてを“赤”に染めちまう」
    チベット人しかいないラサのチャイ屋で、チベット人のおっさんが熱く英語で語りかけてきた言葉です。
    チベットのために自分ができること、やっていかなきゃなりませんね!

  2. >やまちゃむさん
    僕等のような見ず知らずの旅人にリスクを覚悟で現状を語らなければいけない状況、本当にやるせない思いになります。
    餃子食べて気持ち悪くなったとか顔色伺いながらクレームつける事しかできない自分の国の対応、
    助けになりたいけど何ができるのか見当もつかない自分の現状、本当に恥ずかしく思えます。
    とはいえ、チベット問題がムーブメント、対岸の家事で終わらないためにも弱くてもしつこくあるべきだと映画を見て痛感しました。

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