バングラに入国した初日、僕はあまり何も考えず空港のそばに宿を取りました。そこから旧市街、いわゆるオールドダッカを目指したのですが、ちょうど犠牲祭イード手前だったということもあって街はとんでもない混乱の中。
昼ごはん食べて休憩した後の出発だったのですが、これからオールドダッカに向かうという僕に宿の人が間に合うかな?と心配そうに声をかけてくれたことが印象的でした。
うちのお店からみなとみらいに行ってみようくらいの距離だと思います。

渋滞の王。
ちょっと目の前の光景と速度を信じることができないほどの混乱の中の移動。これで結構身心共に繊細な私は折れました。
後に宿でお手洗いに起きた夜中3時とか4時でブースカブースカとクラクションが鳴り、ブレーキのランプの群れは微動だにしておりませんでした。
率直な感想としてやっていけるのか。わずか数日の滞在で大げさですがそう思ったわけです。
そんな時ふと思い出したのがダッカ在住のアミーゴ、なつみさん。通称なっさん。
猫と山岳部の村をこよなく愛するお姉さんです。

以前友人の紹介でお店に遊びに来てくれ、いろいろとバングラデシュの少数民族の暮らし、素晴らしい話から彼らを取り巻く問題の話を色々と教えてもらいました。
ダッカで暮らしながら、映像をベースに様々なアプローチでバングラデシュの南東部に暮らすジュマの人々の生活をサポートする暮らしを営んでいるのです。

なっさん曰く、この場所に1つの何かを成し遂げに来てるというよりかは、ここで生きていて、今できること、したいことを積み重ねてます。
バングラデシュでも、いや、この地に限ったことではありませんが、先祖代々からの土地で暮らす少数派の民族が誰かの都合で線引きされた国境の関係で、偶然同じ国の人になった多数派の人々土地の問題などでこじれてしまう、そういった問題は今も絶えないようです。
ちょうど隣国ミャンマーで問題になっているロヒンギャと対になるような問題がチッタゴン丘陵地帯でおきています。
今彼女が行っていることは、直接物資を送るといった行為ではなく、文化や娯楽を伝え子供達の笑顔を少しでも多く咲かせること。僕が会った時に夢中になっていたことが映画でした。
https://worldtheater-pj.net
https://www.facebook.com/chotobelaworks/
日本のアニメーションを現地の、それもローカルな少数民族の使う言葉に翻訳して吹き替え、楽しんでもらう試み。
僕がお邪魔させてもらった時も現地の学生さんが一生懸命、いかに解釈しいかに訳するかを真剣に語っていました。
村から都市に出てきた少年が華々しい世界でいかに羽ばたいていくか。そんな話だったように記憶しています。
きっとただの娯楽としての映画ではなく、この喧騒の街ダッカで何かにつまづいた時、大きな支えになってくれる作品になるのではないか。僕はそう思いました。
ビリヤニをペロリと頂き、そしてオススメの謎の薬草ラッシーを飲み干す頃には僕もおかげさまで元気復活。本当にお世話になりました!

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