まただいぶ日が開いてしまいましたが以前に訪れた長崎の旧魚雷発射試験所。その後に訪れた針生の無線送信所について少しだけ。
この巨大なつくしんぼうのような塔は大正時代に建てられた日本海軍の通信施設。130mを越すその異様な姿は平成の今をもって尚、ただただ圧倒的です。ハウステンボスを少し超えたあたりから目視でその姿は確認できました。
その直立不動の塔が3本。
塔という存在が昔から好きで、灯台、あるいはイスラーム世界のミナレットなど。遠方まで情報を届かせる、その一点においてのみに特化した天を目指す姿は、今でも見上げるだけで鼓動が早くなるのです。
それにしても細く、高く、美しい。。
いざ内部へ。おおお!と何の声だかわからない音が喉の奥から飛び出ました。
実はがっつり高所恐怖症なのですが、例えばここに幽閉されて、その先端しか出口がない状況。雷鳴轟く嵐の夜にようやく頂上にたどり着くが、そこからどうするどうなる?!
そんな痛い妄想が次から次へと湧いてきます。
写真ではわかりませんが視覚だけでなく聴覚もおかしなことに。逃げ場のない音の反射がこだまして空に抜けていく感覚。
周囲の壁には謎のフック、そして怪しげな機材も割とそのまま放置されておりました。
長崎という立地上、無線で軍艦などに様々な作戦を発信していたのでしょうか。
誰もがスマートフォンを片手に持つ今、情報を伝える手段、そしてその性能はおそらくその時代の想像を絶するものがあると思います。
しかし虚しいのはその伝える情報が利権や排除、敵とされる相手をいかに出し抜くかと全く変化がないことなのかもしれません。
我々の想像力は停滞して淀み、いつまでたっても争いが絶えない。これが本質であり限界なのかと思うと、恐ろしく、そして悲しい気持ちになります。
蔦に覆われた電信室。
雲ひとつないこの日の長崎の空。8月9日、小倉から長崎に場所が移ったのはその天候が理由だったと聞きました。
今は草花に覆われて。

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