今年の夏は少々具合がよろしくありません。
ガツンと休みを取って出かけようと思ってもどこか体調、あるいは気持ちが乗らずにいることが多く。先日などは徹夜のまま遥か日本海を目指してアクセルを踏むもやはり体調がエラいことになってしまい、途中諏訪あたりで無念の引き返し。
慢性的な疲労が徐々にシャレにならないレベルに達しつつあるのか。

かといって家で寝ていても面白くない。

そんな時は近場で写真の展示を見に行くことが多くなります。
様々なジャンルや表現方法。多分そこに良い悪いはなく、今自分が共感できることを知る、人様の写真を見ながら同時に自分自身の内面も俯瞰しているのかもしれません。
最近見た展示の中で特に心が揺れ動いた展示を二つ。

最初は大ファンの古賀絵里子さんの展示。
ESPACE KUU、大正大学の中にあるギャラリーさんです。初めての訪問、そしてキャンパスという施設に入るのもこれ何年ぶりかね。学生にしてはおっさん、そして教授にしては怪しすぎるという微妙な存在を突っ込まれないか若干ビクビクしながらの訪問でした。

展示は二つの写真集から構成されています。大好きな高野山の写真集、一山。
そして浅草に暮らし、昔ながらの喫茶店を営む老夫婦雨を写した浅草善哉。
正直印刷は大きくなく、展示ならではの迫力は弱いのかもしれませんが、浅草善哉のテキスト、老夫婦二人の人生が丁寧にとても興味深かったです。

数奇で壮絶、そして溢れるような優しさと愛。
今は亡くなった二人の物語の最後の一章に寄り添い写した作品。
優しく刻まれていった年月を丁寧に写していらっしゃって思わずため息が出ます。

当たり前の話ですが、このお二人だけでなく、皆、誰もがそれぞれの人生を必死に生きているのだと思います。
そこには平凡なんてものはなく、改めて今、奇跡のような可能性のある日々の真ん中に我々は立っているんだと思うことができました。人生賛歌。
変な宗教に入ったわけではありません。ご安心を笑。
人生の終わりに振り返ることが楽しみになれるような日々を送りたい、そして願わくば寄り添い合える家族を持ちたいなと思います。
http://taisho-kuu.tokyo

もう一つはあのアラーキーこと荒木経惟さんの展示、なんだかこの夏各地で展示をなさっているようですが僕が訪れたのは写真美術館の展示、センチメンタルな旅1971- 2017-。
妻の陽子さんとの出会い、生活、死、その後、そして今と続く長い道のりの断片。
いつか来る、けれどもいつ来るかわからない終焉の時を見据えて生きていくことはなかなかに難しいです。
また別れによって残された人はその後の孤独とどう向き合っていくのか。

最近母親と人生の話をすることが増えました。夫、僕の父親を亡くして数年。
今までで一番嬉しかったことは何か、あの時ああしておけばよかったと思うことってあるのか。
曰く失敗したと思うことも含めて、全ての経験は絶対に役に立つから安心しなさい。

限りある日々の中にいるという覚悟と、失敗なんてないという言葉。そして休暇をもう少々。こういった事柄を大切にしようと思います。

昨日と今日と明日が曖昧になりがちな今日この頃。
今とその先の日々をどう過ごしていくか。大切な時間と、そしてその積み重ね。
そんなことを考えることが多くなりました。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html



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